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フィンランドより招待状。8月に一週間だとのこと。あいかわらずイタリアからこないぞ。むむむ。念を送るか。
ミラノのドゥオモは500年かけて建造されたとか。というような話はいくらでもあって、建造中のサクラダ・ファミリアなんかも有名だが、人間のライフサイクルとは桁の違うスパンで行われる人間の行為にはその気の長さに少々あきれつつも参りましたと思ってしまう。だからというわけではないのだが、「現実的であること」を求める人間の気の急いた雰囲気には、なんでそんなに焦るんだ、と思ったりする。次の年にはこうあって欲しい、というようなツーバイフォー的社会デザインへの意志なんてロクでもないと私は思うのだが。でもなんで焦るんだろうな。