浦沢直樹 二作

このところ立て続けに浦沢直樹のマンガを薦められたので読んだ。『モンスター』および『20世紀少年』。いずれも実におもしろかったのだが困ったことに始めるとやめられなくなる性分なので、読破すると夜が明けている。「解析していて徹夜」「レビューか書いていて徹夜」「ウクレレで徹夜」ではなく「マンガ読んで徹夜でボロボロ」と翌日まわりの人間にいうと、なにしろこちらの人間にとってmangaといえば年端も行かぬミニスカートの少女があられもない格好で飛び回るというイメージがあるものだから、白い目でみられる。「あらやだこの人ヘンタイ」である。仕方がないので説明しようとする。『モンスター』ってのはドイツを舞台に天才的な脳外科医が、頭のおかしい殺人鬼の天才少年と対決する話、『20世紀少年』は市井の普通の男女が、幼少時の結束を取り戻してかつての仲間の邪悪な行為と対決する話、ということになるわけだけど、マンガを言葉で説明するほどばかげたことはない。百聞は一見にしかず。
後者はとくにオウムをモデルにしたストーリーで、いってみれば「もしあのときオウムの教団が滅びなかったら」という話、ということになるだろう。なぜこんなにも人は簡単にだまされるのか。あるいは洗脳されるのか。浦沢直樹の答えは「誰もがなにかを信じたいんだよ」。信じたいからだまされる。結構な本質だと思う。信じる対象が正しいか間違っているかはかんけいなくて「信じている」という行為に引き寄せられるわけだな。という話は実はオウムを分析したいろいろな本にもでてくるのでいまどきだれもが1995年のことを反省して「帰依してしまうやもしれぬ自分」あるいは少なくとも「信じる自分を疑う」ぐらいにはなってもいいと思うのだがそうでもない、なにかを信じたいという欲望はいっそうつよまっているのではないかと漠然と思う。漫画のなかのカルトに支配された日本の姿をながめながら、まあ、実際にはオウムには支配されなかった、よかったよかった。けど別のなにかを信じたくてしょうがないんじゃないんでしょうか、はまりつつあるんじゃないでしょうか、なんて現実の世界における翼賛言説の強化ないしは自慰史観ないしはショーグンの三選をながめていて思う。