ケータイ・ヌーボ

日本用ケータイを紛失した。タクシーに置き忘れたらしい。タクシーセンターに忘れ物登録したが、数日間音沙汰がない。そこで、ケータイの機種交換、ということで新たな携帯電話を入手した。auショップでさまざまな手続きをして、新たなケータイを受け取ったわけだが、私に機種選択権はない。というのも、プリペイドのケータイの機種は一種類、色も一種類しかない。嘆かわしいことにこの唯一のケータイのデザインが実に大文字で”ファンシィ”と書きたくなるようなファンシィさで、家族には狂ったのかと不審がられ、友人たちには”わはは、ゲイだね”と言われる。基本色はベージュなのだが、フレームや模様が目の覚めるような明るいオレンジ。ああ、できることならばスプレーで色塗っちゃおうかな。
それにしてもなぜ、唯一の機種がこうしたデザインになるのか、実に理解に苦しむ。これが一番一般的、ということなのだろうか。あるいは、いかがわしい目的、ないしは犯罪に良く使われるというプリペイドケータイゆえ、なるべく人畜無害な印象を与えようということなのか。後者だとしたら、実に逆効果である。いい年をしたむさくるしい男がこのファンシィなケータイを使っている状況は非常に怪しげ、ほとんどヘンタイである、という点を開発担当者は想像するべきである。
ところでauショップなのだが、対応に出た若い女性、東北出身者的(苗字は東北の名前だった)な朴訥とした顔立ちだが、働きぶりはきびきびした人だった。申し込みは実にスムーズに進行、一時間後に昔と同じ電話番号になった新たなケータイを受け取りに行った時にも、私の顔を見るや否やすごい勢いでケータイを渡してくれた。はいどうも、と受け取り、いやー、スムーズスムーズ、と思っていたのだが、駅の改札を抜けてから、あらら、お金払ってないじゃん、とホームでぼさっとしているときに突然気が付いた。タダである。スムーズすぎて支払いの請求を忘れてしまったのだろう。
どうしようかな、と一瞬迷ったのだがあの若い女性、働きものだけどきっと年中こんなボケかましているんだろうなあ、また上司に叱責されるんだろうなあ、と考えると、ここはよい人になんなきゃなあ、と思い、わざわざ駅の改札をもういちど出て、金を払いに行った。auショップに入り、件の女性に目を合わせると、またのお越し、なんでしょうか、と首をすこし傾けながら、のっぺりとした営業顔だった。しかしながら、私があの、お金払ってないと思うのですが、と告げると途端に人間味のある表情になって(ドジ、という素が出た瞬間的表情だった)、あわててカウンターから立ち上がり、こそこそと、いくらいくらでございます、申し訳ありません、と小さな声の早口で私に告げる。カウンターで対応していた客は完全にないがしろである。いじのわるいことに私は心の中で非常におもしろがりながら金を払った。人間味のあるところを日本のこうした官僚的なオフィスでみることはなかなかない。私は妙に満足したのだった。