優柔不断なる建築家

新聞にアパート探していますという広告を出した。すぐに電話がかかってきたのだが、一本目がなかなかおもしろい条件だったので、見に行った。呼び鈴をおして出てきたのはジム・ジャームッシュに似ている男で私と同じぐらいの年齢、建築家なのだという。
場所は街のほぼどまんなか、中心を流れる川のすぐちかくで、市電とバスが走っているメインストリートに面している。階下は装飾品の店で、玄関(?)が共有になっているので、装飾品屋がそうしているらしいのだが、蝋燭のともる玄関の赤い絨毯を踏んで、アパートに入るというなにやら大仰なことになっている。まわりにはカフェが何軒か。窓は作り変えられていて防音サッシだが、かすかにチンチン、という市電やバスの音がする。よくいく旧市街のバーへも15分であるいていける。
ドイツで建築をやっている人の家は、どこもミニマルな感じの内装なのだが、そこもやはりすっきりしていて、わたしなぞはがらんどうだなあ、と思ってしまう。ミニマルにするための工夫はあちらこちらにあって、たとえばベッドは高さが1メートルほどあって、下は箱にしか見えないのだが引き戸になっていて巨大な収納スペースになっている。私はベッドからときどき落ちるので、このベッドだと骨折の可能性が、などとぶつぶついっていたら、いや、このベッドがいやならひきはらうから今使っているのを使えばいい、とのこと。バスルームもまたすっきりしているのだが、大きな窓から入る光が美しい。バスタブと別にシャワーがついている。
自分で設置したというステンレスでメカメカしたキッチンに座ってしばしおしゃべりした。生物学をやっている人間と建築をやっている人間はなぜか話があう。構成を扱う一方で自己組織化を扱っていて対象の指向はまるで逆なのだが、形を扱っている、ということがその中心にあるからだろうか。キッチンから出る広いバルコニーからは中庭の樹々や周りの家の煉瓦色の屋根の交差が見える。古い地区だからかアパートはどれも小さめである。
今このアパートに一人で住んでいるのだが、彼女と住み始めようと思っている、でも彼女の家に引っ越して出戻り先がないのは不安なので、一年の契約でここに住んでくれないか、とジャームッシュ氏はいう。一年後、彼女との関係がうまくいっているようだったらそのまますんでよい、ダメだったらもどってくる、その際にはまた新たにアパートをみつけて欲しいとのこと。家具は使いたいものはそのまま使っていいし、使わないのは引き払う、という。
実際にやってみないと決心つかないんだよね、とキッチンのテーブルでタバコを吸いながらジャームッシュ氏は言った。ジャームッシュ氏がテストを重ねている一年の間、ここに住んでみるのもよいかもしれん、と思う。今住んでいるのは閑静なる住宅街なのだが、これは例外で私はほぼいつも騒がしい場所に住んできた。ひさしぶりに又ちょっと騒がしい場所で暮らすのもいいかもしれない、と思う。