勇敢なる水兵ナリ

バーでなんとなく乾杯を交わした青年が、ビールを一口飲んだ後で自分は二日後からイラクに派兵される身なのだ、と言った。米軍の兵士なのだという。へえ、そうなんだ、と私は答えて、もう一口、ビールを飲んだ。なにができるかわからないけれど、自分は命令されるまま、職務を遂行するのだ、彼らを助けたい、と青年兵士は言った。でも文化ギャップはすごいよね、難しいことだ、と私は彼の目を見ながらいった。アラバマ出身だという彼は、クルーカットにした髪に肌がツヤツヤとしていて新米兵士な雰囲気が丸出しだった。異文化理解が難しいのはわかっている、だけど自分にもなにかできると思うんだ、と彼は答えた。二日後に戦場に赴く彼に私はなんといえばいいのかわからない。イラクは内戦間近な状態である。米兵の死者もまるでそれが日常の出来事のように相変わらずコンスタントに追加されつづけている。とにかくその場にいて、隣の人間を理解しようと思うことが大切じゃないかな、と私はいってみる。それはわかっている、だけど自分は軍人なのであって、与えられた職務を遂行するだけ、それなんだ、と彼は言った。その言葉はまるで彼が兵学校で繰り返し言い聞かされたことをそのまま繰り返しているように私には聞こえた。グッド・ラック、と私は言って、彼と別れた。石畳の町並みを家にもどるすがら、勇敢なる水兵ナリ、と私は心の中でつぶやいた。9年前の昨日、私はドイツにやってきた。日本を発つ私に、酔っ払いながら「勇敢なる水兵ナリ」とつぶやいた元東大教授は今、日本海の見える町で隠居生活を営んでいるという*1。青年兵士は今ごろイラクでダッフルバッグの紐を解いている。

*1:かつて帝国海軍の兵隊だった元教授には、日本を去る間際にとある測定のことでお世話になった。その測定ができる人間が彼一人だったのである。一緒に実験をして、では食事に、ということで呑みに入ったわけだが、酒を飲みながらあと一週間でドイツに行きます、という話をした。ドイツに留学経験があり、ドイツが大好きな教授は、身を乗り出して「むっ、ドイツ語はどのぐらいできるのかね」と聞いてきた。私は、まったくできない、と答えた。教授はしばし絶句したあと、「勇敢なる水兵ナリ」とつぶやいたのだった。