単純に物事を見切る、というのは科学の特質でもあり、美点でもある。シンプルな数式の中にジェネラルな自然の法則が隠されている、というその形式美にエクスタシーを感じるのが科学者であるのかもしれないが、それを敷延して自然法則は単純なはずである、という見込みが強い仮定となったときに私はそれを暴力的だな、と感じる。大学院生の時にこのことでさんざんアメリカ人の教授と大議論をした。教授は自然の法則はもっと単純なはずである、単純なところにおとせるはずである、と主張し、一方で私は、いやそんな単純にはできないのだ、これが事実なのであって、これ以上単純にこの現象を捉えるのは創作にも等しい、と反論した(この数日の私の言い方でいえば、暴力的、ということになるだろう)。なぜこの教授は単純であるはず、とそこまで単純にいいきれるのか、と私は本当に怒ってしまい、一方で教授は私の頭は固すぎる、と怒っていた。観察も実験もしていないあなたになにがわかるのか、と私は心の中で思っていた。未だに私のほうが正しかった、と思っているが、結局承認がでず、論文は投稿されることもなく机の中に眠っている。