ロンドンの熱血オヤジとの長丁場議論。話すたびにプラグマティックな人だなあ、と思うのだが、今回は特にそう思った。解析とその精度に関してやたらとこだわってしまう私とはどこに内容のボトムラインを落とすか、のせめぎあいになる。
ディスカッションはまず「どこの雑誌に投稿するか」から始まる。して、その雑誌の傾向と対策から、今回の論文の結論はこんな方法に持っていく必要がアルノデアル、と熱血オヤジはあいなるのだ。そこから図を考え始める。結果をゆがめているわけではないが、結論を想定される編集者とレビューアーに合わせる。この部分のコダワリは私の解析に対するコダワリに比肩するコダワリなのだが、私の場合は論文を実現するという点であまり実用的ではない。一方で熱血オヤジのコダワリは科学におけるプラグマティズムなのである。
と、こんな風に日本語をしたためる私に、スクリーンをよこから覗いて「なに書いてんだ、うお、日本語か、なんでそんな記号が読めるのだ」とおもしろがる熱血オヤジである。