生きているダンサーたち
id:hizzzさんとid:sujakuさんの、ドラえもんキャラクターを巡る「女」についてのさまざまな分析は、なんともいろいろなことを私に思い起こさせる。
一年前の冬だったと思うが、フランクフルトバレエを見にいったときのことだった。ダンスは3幕を持って終了した。特に最後のダンスはすごかった。舞台には机がほぼ隙間なくうめつくされて、ダンサーたちはその間を所狭しと走り回り、跳躍し、すれ違い、一人が机の上を飛び越えている瞬間に反対側から別のダンサーが机の下をくぐっている。跳躍と回転が幾何学的に何度も繰り返される動きと、その動きとは独立したかのように、しかしつねにソーティングされていく机の列に、私は脳の髄まで魅了されてしまい、なかば呆然とその軌跡を頭にめぐらせながらスタンディングオーベーションをしていた。もともと動いているものを眺めるのが好きなこともあるが、その複雑で美しい軌跡は実に繊細で、立ち現れた次の瞬間に消えてなくなっていくものだった。
ダンサーたちは再び舞台に登場して手と手を繋いで並んで挨拶をした、かと思うと普通なら幕の向こう側に消えるかれらは、そのまま客席へと次々に軽やかに飛び降り、手にした小さな紙切れをはためかせながら瞬く間に劇場の外へと消えていった。なにがおこったのだろう、とキツネにでも化かされたような気になって、よたよたと劇場の外にでると、路上はダンサーたちが一列に横並びになり、そのうち一人は拡声器を肩にぶらさげ、マイクを手にしてさながら団体交渉の構えである。ききとりにくい演説をきいてみると、フランクフルト市が予算縮減のために、フォーサイスのダンスカンパニーを閉鎖する、とのこと、それに反対するために是非署名を、というきわめて現実的な、期限の迫った内容だった。演説の内容はともあれ、路上に一列に並んでいるバレエダンサーは凄い迫力だった。舞台の上とは違い、寒風のなかそれぞれ労務者風のコートなどをラフに着込んでいるのだが、その集団はまるで野獣の群れのような危険な気を発しており、つぎの瞬間のいつにでもその猛烈なエネルギーを噴きだしそうな存在感に満ちていた。もはやそこにはあの舞台の上で軽やかな跳躍を見せていたダンサーはなく、地に根を深くおろした巨木が嵐にぐらぐらと揺れているような勢いがあった。
むろん私は署名をし、一年後の今、その甲斐もなくフォーサイスのカンパニーはドレスデンへと移っていった。家からずっと遠くなってしまって、もはや簡単に見に行くことはできない。