金がない大学

日本の大学は金がない、とよくいっていた。10年ぐらい前のことだったと思うが、アエラにいかに大学の研究助成状況が悲惨か、ということで特集が組まれて、冒頭の写真はワンカップ大関の空き瓶で植物の組織培養をしているところのアップだった。研究のためのガラス器具を買う金もない、ってなこの記事がかなり話題になり、国会でもとりあげられた。本郷で院生をしていた友達に聞いた話だが、国会議員が状況視察にきてこりゃ大変ですねえ、ふんふん、といいながら帰っていったという。そのせいかどうかわからないが、今ややたらと金回りの状況がよい分野がそこここにある。私が関わる分野もおそらくそんな分野の一つだと思う。申請書の書き方ひとつで「科学技術立国推進」戦略事業にすぐに成り代わるような話である。バブルですわ、わっはっは、なんて景気のいい話もきくけれど、所詮「戦略」重視なので評価できたものかどうか、と思ってしまう。
その金がないない、ピペットのチップは洗って再利用してます、てな日本の大学からドイツの大学に移った私は、日本の大学に輪をかけて金がない状況にかなり驚いた思い出がある。日本の大学ではLANが完備してしばらくたったころだったので、引越し手荷物には10BaseTのケーブルが入っていたのだが、当時ドイツの大学においてLANなどというものは一部の研究者が使っているだけで、えーと、これ差し込むところあるでしょうか、と聴いたみたら、なにそれ、といわれる始末だった。私は10base2(だったかな、BNCの末端。)のケーブルを自分で作るために、末端のコネクター部分を近所の電器街まで買いにでかけるところから始めたのだった。
それでも研究自体は日本の大学に比べて見劣りのするものではなかった。日本の大学であれば付属してくるような機械の制御プログラムを、機械自体が古いので自分で書かなければいけなかったりして、なんかより貧乏になったなあ、という気分だった。いつも使うことになった電圧増幅とタイマーを兼ねた四角い箱は、表示のフォントが古いんで(なんかナチスっぽいフォント)いつのものかと思っていたら、戦前のもの、なのだそうでこれまた驚いたのだが、その装置をDOSとリレーボードから引っ張ってきた5Vで制御して、でてくるデータは最先端だったのだから、まー、金よりアイデア、っていうのは確かだな、と私は思った。一方で、科学に金なんか関係ないよ、という立場が形而上学的になって、あえてワンカップ大関の空き瓶を使うような選択をする傾向が日本の研究者にはあることも知っている(まあ、だけど大きさとか強度を考えるとワンカップ大関も悪くはないのだが)。わざわざ苦労することにねじれた価値観が生じ始める。バブル予算の話を聴くたびに、中ぐらいのところでどうにかならないのかなあ、なんて思う。