科学技術基本計画、8年経った。

以下、理系白書ブログの記事。

総合科学技術会議が主導した第二期科学技術基本計画は、一部の方はご存知のとおり、重点分野を4件指定して、そこに金を集中投資しようというものです。
基礎研究も大切だ、ということは強調されていますが、実際には基礎研究の中でも重点分野以外には金がいきにくい構造になっています。
そうしたアクションプランができた結果、何が生まれたか。
その1.競争的環境が強まりました。よい方向へ向かったものも、悪い方向へ向かったものもあります。
その2.「恐るべき」額の税金が、科学技術関連事業につぎ込まれました。5年間で24兆円という計画です。それで育った分野と、育たなかった分野があります。
その3.科学技術がある意味で「金看板」になり、霞が関のお役人や議員が「科学技術に乗っかるとおいしい」という気持ちを持ち始めました。少なくとも科学技術関連予算だけは、不況の中でも右肩上がりです。
04年12月21日付

新聞記事からはあまりうかがいえない、計画に対するレビュー的な意見で、注目。この記事は、その数日前、元村記者による

午前中は、総合科学技術会議に新しく設置された「基本政策専門調査会」の初会合を傍聴した。
この調査会は、科学技術基本計画を検討する。「科学技術基本法」(科学技術分野の憲法みたいなもの)に基づいて、振興策を具体的に示すために計画を立てる。昨今の科学技術の恐るべき発展は、この計画のおかげといってもいい。
04年12月20日付

という部分の”恐るべき発展”に対して、コメント欄でそりゃないよ、という疑問を呈したnq@slashdot氏やJohnSmit氏に対する応答として書かれている。科学技術基本計画は第一期以来すでに8年が経っている。施策者側によるプロパガンダではなく、まっとうなレビューイングをこうしたブログという形式でもいいのだが、深めていくことはできないだろうか。ちなみに以下はnq氏によるコメント部分。

> 一方で、税金をじゃぶじゃぶ入れて、日本の存在感(あるいは知名度)が世界に浸透したことや、
> それがノーベル財団の耳目を集めたことが、受賞者の続出とまったく無関係だとは思いません。

これは非常に重大な発言です。
白川氏、田中氏は意外な受賞と報道されていましたし、小柴氏の業績は存在感、知名度とも「計画」発足以前から文句なしで受賞は時間の問題と思われていましたから、日本の「科学技術政策」がノーベル賞受賞に影響したとは思えません。
「無関係でない」という (報道されない) 証拠をご存知なのでしょうか?
(さかんに受賞運動をされた方もいる、という噂は聞いていますが、そのことではないですよね?)

> 1期と2期の計画でもってがむしゃらに肥料をまいて耕した畑に3期で何を植え、どう育て、収穫物を何に生かすのかという長期的(5年ではおさまらない)なビジョンです。

少量品種を化学肥料づけで促成栽培しようとした、という意味では正しいのかも知れませんが、到底「耕した」とはいえないと思います。このあと何を重点分野として推進するのか、という議論だけでは今までと本質的に変わりありません。 そうではなく、どうしたら、科学がかつての地位を取り戻せるのか、科学者、技術者(「理系」!)が尊敬を取り戻せるのか、というのが最も重要な課題だと思います。
 「理系」や「科学」に敬意をもたず、道具としか見ていない小泉ー尾身路線の総合科学技術会議がその課題にとりくむことはないだろう、というのが(残念ながら)私の見るところです。
04年12月21日付”理系ブログに再度コメント”

24兆円のカネの使い方が間違っている、というのが私の思うことで、要は短期で金儲けしよう、というのだから科学に対する投資が理解できていない、としか思えない。短期に、大量に、限定されたプロジェクトに、よりも長期にわたってさまざまな広い分野にわたって投資しなければいけない。
第二期科学技術基本計画は特に集中投資の傾向がつよく*1、しかしその理念は単に米国の科学技術政策の猿真似にほかならない。なおかつ産学協同が強力に推進され、「5年で成果を」というようなあたかも科学研究が工場労働であるかのような尻の叩き方である。科学研究におけるグローバリズム、といえなくもない。

*1:そのことは例えば、”総合科学技術会議 最近の科学技術の動向(報告)”のページを見ればわかる。極めて限定された分野だけが偏って関心を持たれている。「新しい知の創造」という美辞麗句からは程遠い、硬直ぶりである。科学は流行を追うことではない。だから豊かなのだ。