両親離婚で行くあてのないクロアチア人の院生がうちにきていて、彼女がテレビをみたがるので鍋をしながら酒を飲みつつテレビをつけて眺めていた。クリスマスにテレビを眺めるのは初めての経験なのだが、やはりお約束、とでもいうことかキリストの映画が放映されていた。鞭で打たれて苦悶の表情を浮かべるキリストを眺めながら鍋に日本酒、というのはなにやらいやな気分だったが、そのまま見つづけた。
24時近くなると、どのチャンネルに変えても「行く年来る年」状態で、一斉にバチカンローマ法王のミサを中継。初めてみるので、おもしろがって2時間ずっと見てしまった。美少年達が歌を歌っているのをながめながら、こんなにかわいい男の子達だったら、神父のリビドーを刺激するのもわからないでもないなあ、などと不埒なことも思ったりしたが、もっぱらヨレヨレのパーキンソン状態でもなんとかミサをこなす法王の体力に関心もした。
キリスト教のセレモニーは、しきりに賛美歌を歌うので、私は結構好きである。祖母が敬虔なクリスチャンだった。彼女の葬式は教会で行われて、遺言により、20人ばかりのごく小さな葬式となった。教会であるが故に家族一同で賛美歌を歌うことになったのだが、クリスチャンは祖母を除いて一人もいない不信心な家族であるため、賛美歌を歌える者が一人もいないという危機的状況となった。そこで姉の発案により、葬式の1時間前に教会に行って、賛美歌を練習することになった。若いときの唯物論者の姿勢をいまだ崩さぬ父は、早々にしゃらくせえ、という表情で「タバコを吸ってくる」と外にいなくなったが、他のものは残って讃美歌を練習した。本番はかなりうまく歌うことができた。家族全員で歌を歌うことなど今まで経験がなかったので、結構いいものだな、と思ったりした。
ローマ法王のミサがおわるとなぜか「子連れ狼」を延々と放映している局があった。ドイツ語ではあるが時代劇をダラダラ眺めるうちに、いやがうえにも「行く年来る年」状態は私の中で盛り上がったのだった。