別の掲示板から
経緯
森岡さんの生命学ホームページ掲示板
http://6912.teacup.com/noshinohito/bbs
で、このサイトで本宮氏の漫画にかんして私が触れた部分(id:kmiura:20041015#p1)が引用されたのですが、誤解を生んだようなので昨日私も掲示板に書き込みました。少々個人的なやり取りであるようにも思われるし、掲示板の主旨からもはずれそうなのでこちらに転載して、引き続きお返事を書くことにしました。簡単にやりとりの概要を書くと、まずてるてるさんがid:Soredaさんと私のサイトを引用しつつ、在外の人間はこのことでつらい思いをする、という内容の投稿を、生命学の掲示板にアップしました。これに呼応して、ななさんが、お返事をされたのですが、少々誤解をされたようだったため、私がお返事をしました。私が書いた内容は、このところいろいろ書いていたことの流れのなかにあるようにも思うので、こうしてこちらで改めて書いたほうがいいと私は考えます。
以下長いですが、これまでの話の展開を整理したいので、転載します。
てるてるさん、ななさんに転載の許可を取っていませんが、もし問題あるようでしたら、削除しますのでおっしゃってください。
ななさん 投稿者:てるてる 投稿日:10月16日(土)21時20分19秒
>> 在外日本人の立場からは、「国が燃える」という漫画はとても迷惑なものなのですね。
>> 海外のコミュニティで共存する相手である中国人、韓国人から、ほらみろ、この漫画に描いてあるように、日本人って、ひどいじゃないか、と罵倒される。実際生活において、損失を被る。
>
>↑この根拠というか、ソースは何を参照にされているのでしょうか?海外在住日本人の方々が作っているブログを参照しています。
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20041014
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20041015
日本人にとっての「迷惑」とは? 投稿者:なな 投稿日:10月17日(日)18時21分6秒
> てるてるさん、
ソースをお尋ねしたのは、てるてるさんが最初にリンクを貼られていたブログ記事をひと通り読んだ上でのことです。紹介されたブログ記事からだけでは、「国が燃える」の漫画が在外邦人にとって「迷惑」なものになっていると一般化して言うことはできないのではないかと思ったからです。
そのような疑問は国内に住んでいる日本人ばかりでなく、当の在外邦人の中からも上がってくるのではないかとも考えました。
ですから、何か他にソースがあるのかなと思ってお聞きしたわけです。
「なにより、はじめからこんな漫画がなければよかった。」などという意見は、あくまでもそれを発信した人の個人的な考えであり、その「漫画」が出版されるということだけで在外邦人全般に迷惑が及ぶなどと一般化し、断定できるようなものではないと思います。
中国では旧日本軍の悪行を必要以上に大袈裟に教育しているということはあるのかもしれません。そういったことからか、今の中国の若い人の間では嫌(反)日感情が少なくないということも伝え聞きます。ただ、日本のメディアによって最近行われた中国人へのアンケート調査では、「親しみを感じない」という回答とともに並行して「親しみを覚える」、「行ってみたい国」と答えた人も少なくなかったという結果が出ていました。
(このアンケート調査の紹介は、ブログ記事の「しかしこの理屈はチャイニーズのことにメインランドから出て来た人には殆ど通じないのではないかと思う。」という意見への異論も多少、意図してのことです^^;)
とまれ、戦後中国側から問題にされてきたことの焦点は、日本の歴史教育において、日中戦争における侵略行為の歴史が殆ど無視されたかのように過小に扱われているという点にあると思います。
そういった日中間のこれまでの軋轢を省みて、過去の歴史を直視しその反省の上に立って今後の日中関係を築いていこうと考えている日本人から見れば、多くの日本の若者が読んでいる漫画の中で旧日本軍の侵略行為、歴史が取り上げられ描かれているというのは、ある意味それは中国の人に積極的に提示できる材料にもなり得ると私は思うのですね。
そして、そのような立場に立って中国人と隣人関係を築いていこうとする人が中国人との間で「漫画」の話が話題となった場合、彼らは「漫画」を材料、タテにして相手の日本人を罵倒したり、何らかの損害を与えるような行動を取るでしょうか。
もちろんこのような立場とは反対に、「旧日本軍は中国でそんなに悪いことはしていない。彼らのためになる事さえ行っていた。」と主張する人たちにとっては、件の「漫画」は大変迷惑なものに映るでしょう。
どちらが正しい観点、立場かということについてはここでは深く立ち入りませんし、中間的な立場というのもあるでしょう。
ただ、少なくとも前者の観点に立っている日本人、在外邦人は存在するわけですし、彼らから見れば「漫画」はとくに迷惑なものとは映らないのではないでしょうか。つまり、てるてるさんが紹介されたブログ記事で語られている「漫画は在外邦人にとって迷惑」はあくまでもひとつの見方、意見でしかなく、一般化できるものではないということです。さらに言えば 投稿者:なな 投稿日:10月17日(日)18時22分25秒
記事の内容をよく読むとそれは、「漫画」があるがために「罵倒された」、実際生活において何らかの「損失」を被ったという実際の被害事実を述べたものではなく、「漫画」によってこうなるであろう、中国人はこう考えるであろう、こういう行動に出るであろう、という個人的な予想や考えを表明した以上のものではないでしょう。
追加でリンクを貼られたブログ記事にしてもあくまでも個人的体験談であり、北米で出会う中国人、韓国人が日記に書かれていたような態度、行動を取るとは一般化できないでしょう。
私の体験の範囲で申し上げますと、韓国旅行で出会った人々や日本に旅行や仕事で来ている韓国人、中国人の方々の過去の歴史に対する我々現代の日本人への態度は、件のブログ日記で綴られているようなひとつのパターンで括れるようなものではとてもありませんでした。
最後に・・・。ここで件のブログ日記の批判を書くのは場違いかもしれませんが、
> 「フィクションなんだからなんだってありよ」で面白おかしいものを排出して(はっきり言えば売って)いくことではないだろうと私は考える。
の「フイクション」と断定しているのには頷けませんでした。
これに対する私の返答。
誤解されているようなので、捕捉 投稿者:kom's log 投稿日:10月17日(日)23時31分16秒
ななさんへ
私が書いたことの主旨を逆に取られているようなので、こちらに投稿させていただきます。
私が書いたのは、漫画が中国人のナショナリズム(1994年8月の「愛国主義教育実施綱要」に続くナショナリズム高揚運動のことですが)を補強するから、あの漫画は困ったことだ、ということではありません(どうやらななさんは、そのように理解されたようですが、そうではありません)。本宮氏の連載が、政治家と一部の愛国運動家による圧力の結果中止に至った、という経緯にうんざりするわけです。またかよ、ということで。日本の常識と世界の常識の落差を背負って議論しなければいけないのは、在外の人間だ、という点は理解していただきたい、ということです。背負い方はいろいろあるでしょうけれど、多かれ少なかれ、そんな場面に向かってしまうチャンスは、日本の中に住んでいるよりも遥かに多い。また、日本の常識、世界の常識、それぞれが正しいのかとは別に、コンセンサスの落差の間で、自分が「日本人であること」を背負わざるを得ないのも確かです。ちなみに、南京虐殺に関しては中国人や韓国人よりも、アメリカ人やドイツ人にいろいろ言われることの方が多いです。ななさんの疑問は、こうした経験が一般的であるか否か、という点にあられるようです。おっしゃられるようにこれは私個人の経験です。しかしながら、上で述べた「落差」と向き合う場面が多々ある、という点は一般的であろう、と思います。最近読んだ水村美苗さんの「私小説」でもそうした場面が幾度も出てきます。中国における第二次世界大戦時の日本兵の動向に限らず、昨年から続いているイラク侵略における日本政府の選択なども、私が選択したわけではありませんが他国の人々との議論においては日本人であることを引き受けるしかありません。
また、てるてるさんには心配していただいているようですが(ありがとうございます)、在外10年以上経って心臓に毛が生えてしまったので、対処方法は自分なりに確立しています。外国人ないしはマイノリティである、というのはそのようなことでもあるのです。いわばそのグチとして私はゴタゴタと書いています。
以下参考にしてください。
●「対処方法」について
愛国心
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20040731#p1
becoming Japanese
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20040731#p2
このところの愛国心をめぐる議論で、私が思い出していた言葉。
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20040802#p2●中国における「反日教育」について。
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20040812#p1●矢面に立つ、ということ
身の安全、ということと、むき出しの個人
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20040412#p3
(先の春、イラクにおける日本人人質事件をめぐって書いた内容)
これ対して
kom's logさんへ 投稿者:なな 投稿日:10月18日(月)20時37分31秒
kom's logさん、はじめまして。
お手数をおかけしたようで、申し訳ありません。
たしかにおっしゃるように、kom's logさんの論旨は《『漫画』(『国が燃える』)が出版されること自体によって在外邦人が罵倒される(だろう)、実際生活において何らかの損失を被る(だろう)。だから迷惑だ。》というものではなく、《「政治家と一部の愛国運動家」の圧力によって出版中止に至った経緯にうんざりする(言葉を変えれば「はた迷惑」ということでしょうか?)》というものですね。たしかに両者の論旨は異なります。
弁解に聞こえるかもしれませんが、ちょっと釈明させてください。
kom's logさんのブログ記事にはもちろん目を通していましたし、そのような論旨であることも理解しておりましたが、私の視点は専らSoredaさんのブログ記事に向いており、それを念頭に書き込みをしたものでした。というのは、てるてるさんが強調されていた、>> 在外日本人の立場からは、「国が燃える」という漫画はとても迷惑なものなのですね。
>> 海外のコミュニティで共存する相手である中国人、韓国人から、ほらみろ、この漫画に描いてあるように、日本人って、ひどいじゃないか、と罵倒される。実際生活において、損失を被る。という「在外日本人の立場からの意見」はSoredaさんのブログ記事に当てはまるものでしたから、そちらの記事ばかりに焦点を当てて書いてしまいました。
しかし、ふり返ってみれば、kom's logさんのブログ記事もそのようなものであるかのような誤解を招く纏め方になっていたようです。あらためてお詫び申し上げます。
ところで、kom's logさんは「気分としては同じくSoredaさんの意見に近い。」と書かれていましたが、記事を読んだ限りでは、上にも書いたように、伝えようとしているお二人の意見の主旨、論旨はかなり異なっているのではないかと私は感じていましたが、いかがでしょう?
それと、これを機会に少しお聞きしたいのですが、
> 日本の常識と世界の常識の落差を背負って議論しなければいけないのは、在外の人間だ
の「日本の常識」と「世界の常識」とは、どのようなものを指しておっしゃっているのでしょうか。
件の『漫画』をめぐる問題に即して具体的にご説明いただけませんか。
私がid:Soredaさんに共感したのは、次のような考え方に対する気分です。日本国内における出来事があたかも日本国内だけで収支決算がつくのである・・・という考え方です。日本国内に住んでいる場合は、彼女がいうように外でどんなに日本というまとまりに対して怒りが巻き起こっても関係ないわけですね。ああ、またか、と思います。今回のことがどう日本外で扱われるのかわかりませんが、一連の日本のさまざまな動きの中で再帰的な効果の一部になるであろうことは容易に予想がつきます。外国、というのは日本と分つことが難しいほどいろいろなものを共有しているのに、海の向こう、というとても遥かだ、という意識があるのではないか、と思ったり。
私は更に、日本外で起きた事柄を(例えばイラクの人質事件ですが)、あたかも日本国内事情に沿って起きた事柄である(すなわち自作自演である)と解釈する志向が日本の社会(特にネットですが)にはあるのではないか、といったこともつい先日書きました(id:kmiura:20041007#p1)。なぜこうした内向き解釈が常に場としてあるのか私には不明ですが、どうやらそんな傾向があるのだな、と思っているのです。本宮氏の漫画の件に関しては、そうして自分が考えていることの一連のつながりの一部でもあります。
「日本の常識」と「世界の常識」についてですが、まず最初にどちらが正しいのか、ということをいっているのではありません。どこにでも常識に差はあるのですが、例えば本宮氏の漫画は、日本外で起きた事柄に関する漫画です。スジとして本来は世界に開かれて議論されるほうがあたりまえだと思うのですが、なぜかこれまた問題が日本内部だけに収束して、外に開かれていない。本宮擁護vs本宮糾弾、ないしサヨク対ウヨク、という型が登場してとても上滑りな感じがする。単に安易、ということなのかもしれない。内部に収束させるのが日本の常識なのかもしれませんが、本来そうでないイシューがある、というようなことです。そうして議論が内向きになっているが故に、外で説明を要求される私などはとても歪んだその構造を説明することになる。また、単に日本人の代表として扱われる場合には、応答責任のようなものまで付随してくるわけです。
例えば、中国で乱暴狼藉を日本は働いた、というのは世界的には常識なわけです。それに対して日本ではそれを扱ったフィクションに対して糾弾が巻き起こり、出版社は連載自粛までした。日本はどうなっているんだ、という質問になる。実際には南京大虐殺があったかどうか、という今回の論争ですが、南京で殺された中国人が3万人か30万人か、といった詳細は問題ではなくもっと単純に世界は把握しているわけです。日本国内では、それを否定しても問題ないらしい。あまつさえ、禁書扱い。どうなっているんだ?ということです。日本のアイドルがどうの、といった話が私に向けられることはあまりありませんが、こうした世界に開かれている問題の場合は、当然のように聞かれる。面倒なときは、日本は右傾化してるんです、と単に答えてしまうけれども、なんかそれで済ませていいのかなあ、とも思って「内向き志向」なんてことを考えたりします。
更に言うと、イラク侵略に参加している日本のことを私は考えるのです。ここでは何度も書いていることですが、日本は事実上戦争に参加しているので、私という日本国籍をもつ人間は、いわゆるイラク・インサージェントの敵、「テロリスト」の敵なわけです。日本外でうろうろしている時間が圧倒的に長い私が街角で彼らに襲撃されることがあっても不自然ではない。こうしたこともあって、内部で収束しているつもり、の日本における内向き志向を眺めると妙に腹が立つのです。圧倒的な非対称の構造(レヴィ・ストロース、中沢新一)は日本においてはもしかしたら外国・日本という非対称なのかもしれません。