イエリネク

優等生の女の子は大変です、ってな話だろうか。周りに結構いたりするタイプなんで、大変なのはわかるんだけどなあ。

イエリネクさんはウィーンの国立音楽院でピアノと作曲を勉強した。音楽学校に通う女性はいいところのお嬢さんというイメージがある。彼女について多く人が抱くイメージはこの「お嬢さん」である。これは作品のスキャンダラスな性格を強め、挑発的になるので、出版社の販売戦略に合致する。

もう若いとはいえない彼女が髪の毛を三つ編みにして若作りにしているのも、田舎(=オーストリア)の「お嬢さん」の挑発が、イエリネクさんの社会との関係の仕方だからである。一度有名になった作家は簡単にモデルチェンジができないし、また世論も(イメージに合わない発言を彼女がしても恐らく無視したりして)それを許さない。
肉体という牢獄

それと私、今回この映画を日本で観ることが出来て本当に良かったと思っています。…とゆ〜のは、この映画で描かれているエリカという女性像が“程度の差はあれ”、日本人女性の多くが持つ内面の姿と根本の所で通じるモノが多分にあると思うからなんです。一つは、母親を初めとする社会や権威による極端な抑圧、そしてもう一つはその反動としての極端な妄想の肥大。この“抑圧”とその反動による妄想の“膨張”という両極端な2つのキーワードをよりリアルに理解出来るのは、そりゃ〜もうアメリカ人ではなく日本人の方に決まってますよ。
このエリカの異常にも映るファンタジーの膨張は、日々の抑圧があるからこそ成り立つのであって、そこを見落としてしまうと彼女はただの“病気”でしかなくなってしまう。けど、エリカは決してビョーキではないし、精神を病んではいるワケでもないのです。ただ、精神的に成長しないまま身体だけが歳を取ってしまった。そう、エリカの姿こそが昨年、日本でもそしてアメリカでも話題になった精神的に未熟なまま大人になってしまった30代の日本人女性の姿を本質的に映し出しているのではないでしょうか。
映画”La Pianiste"評

別に日本人と限った話でもない、と私は思うが。