b+h becher "typologien industrieller bauten"@hausderkunst

高炉、製粉所のサイロ、揚水機を被写体にしてひたすら幾何学的に構成された写真を撮り続けるベッヒャー夫妻の展覧会。ベッヒャー・シューレなどと呼ばれるぐらい追従者を生み出したスタイルだけに、オリジナルはすごい迫力。ひとことでいえば、根性の迫力とでもいおうか。だだっ広い展覧会場にひたすら機械の写真が並んでいるのは壮観だ。なぜか観客も少なく(日曜の夜なのに出会ったのは4人だけだった)、光を抑えたモノクロの写真の羅列を見て回るのは妙にストイックな雰囲気だった。
とはいえ、私はメカフェチである。メカフェチにもいろいろタイプがある。コクピットに萌える、とかメーターに萌える、とかPCのマザーボード、などスケールもいろいろだ。私はパイプに萌える。そのことを再認識した。「アキラ」にしても私が一番うっとりしたのは複雑に絡み合うパイプだった。パイプはエロチックで内臓のようで、テラテラとしていながら無骨なところがいい。加えて静かな外観に似合わずその中を激しくうごめく流体のこしかた、行く末を思うと私はそれを決して目にすることができないだけに、少なからず興奮する。できることなら、家の配管は壁に露出させて欲しい、とさえ思う。ベッヒャー夫妻の選ぶパイプは、複雑な機械の一部分として配管されたパイプだ。パイプそのものを被写体とすることはあまりない。設計の都合上、機械には直線部分が多い。高炉のほとんどの部分は上下軸、左右軸の直角に交わる構成だ。その秩序の中に暴力的に絡み、うねり、ナナメから直線の隙間に入り込むパイプは、冷徹な高炉の姿に生々しさと獰猛さを付与する。