科学者の流動性とテクニシャンの固着性

大学が街の中心から郊外に引っ越すという大騒ぎになっている。60年ぶりの引越し。そんなわけで、私はー80度に凍結して保存してある細胞を引き上げなければ、と教授に電話したら薮蛇で、私も片付けに参加することになってしまった。巨大なキャビネットに私出身のラボのものが詰まっていて、どれをすててどれをとっておけばいいのか、わからない、善処してくれ、とのこと。ちなみに私がいたラボは、私を最後に消えてなくなった。だから私が片付けなくてはいけないのはまあ、そうかもしれない。そんなわけで、またオレがやんのかよーとぶつぶついいながら、古いウィンドウズのマニュアルだのキャビネットの処理のみならず友人達が置きっぱなしにしていた荷物まで預かることになってしまった。
そんなこんな作業をしていて、突然なのだが、日本の大学・研究所の科学者の流動性を活性化させる政策に、実に大きな問題があることに気がついた。問題がいろいろあることはあるのだが、とても本質的な部分に欠陥がある。
アメリカにしてもヨーロッパにしても、ラボにはテクニシャンと呼ばれるスタッフがいる。このスタッフが実はとても重要で、ラボの成否はテクニシャンの能力と人間性に大きく拠っている、と大げさにいってもよいと思う。優秀なテクニシャンは一般的な実験操作のみならず、機器の保守、実験計画の批判、人間関係の調整までこなす。これらの点は、いかにもテクニシャンの仕事、という感じであるが、これらに比してあまり重要ではなく見えるが、実はとても重大な点がある。それはテクニシャンが一般に終身雇用であることによっている。
ラボのヘッドや研究員、学生は高い流動性にともなって次々と渡り鳥のように居場所を変えていくが、テクニシャンはその研究所に居続ける。このため、新しくやってきたラボのヘッドを始め、学生にいたるまで、書かれていない情報、すなわち研究所や大学のことをよく知っているテクニシャンに実に多岐に渡る恩恵をうけることになるのだ。こんな機械を使いたいのだが、どっかしらないか、といったことから、めったに使わない試薬のありか、必須の書類は何か、あるいは誰に聞けば知りたいことがわかるのか。うるさいスタッフは誰か、事務員はどの人が優秀か。果ては買い物情報、住居情報まで、地元のことをよく知っているのもテクニシャンである。私がこれまでテクニシャンに受けた恩恵を考えると、はたしてテクニシャンという存在なしに、新しい研究の場でどれだけ無駄な苦労をしたことか、と想像する。
日本の科学業界は、競争原理を導入してより高い成果を科学者に上げさせるため、政策主導で流動性を高くしようとしている。しかしながら、そこには終身雇用のテクニシャンが不在である。したがって、継続性をもって研究所なり大学の情報を保持している人間が不在になる、ということに等しい。流動性を高める以前であれば、悪名高い「万年助手」がテクニシャンのように大学なり研究所のさまざまな情報を継続して保持していた、と思う。そもそもどんどん異動をすべき助手がこうした境遇になっていたのがおかしいのであるが、そうした継続性のある情報をもっている人間がどうしても必要だからそんなことになっていたのだろう。
目下の日本の科学政策では、こうした人間がいなくなることになる。混乱と無駄な苦労がとても大きくなるのではないか。