というような話を聞くたびに思うのだが、「たいへんだー。だから、二酸化炭素の放出はいけないノデアル。」的な結論の安易さだ。先日書いた「である」と「べき」の話に直接接続するのだが、生物をなめすぎている、と私は思ってしまう。生物は恐るべき柔軟な適応性を持っていて、大抵の環境の変化にはうまく対応できてしまうのである。実証と規範の無限ループの軌跡がシステムとなる、というのはそのまま生物のシステムなのだ。

逆に言えば、環境の変化に適応できないのは、規範に収束しがちな人間のほうである。地球が温暖化するならば、それに適応するように生活を変化させればいい(背広きないでアロハ着ろよ)。でもたぶん、今の人間の貧困なる適応法は、クーラーの設定温度をもう一度下げる、ということなのだ。