昨日の続き

というわけで説明続行(昨日コメント欄参照)いわゆるクリエイターに分類される人種は「好きなことできて幸せですね」という価値観をおしつけられることが多い。典型的なのが例の青色ダイオードのおっさん問題だが、好きなことしている、ということと、だからお金なくてもいいんでしょ、というのがどうもバーター取引になっている(電通の「クリエイター」は別だが)。一方でクリエイター人種も「おおそうだ、私は好きなことをしているんだから金なんかいらないのでアル」といった内面化が著しいわけです。目下、世界を文化侵略中のアニメ業界だって、作っている当の現場の人間は信じがたい月給で働いている。好きなことをしているから、シカタガナイってことでね。

ナカムラ教授は極端な反動だったけれど、自分はなにがしか創造的なことをしていると考えている人間は、なんでオレが作っているのにそれを流しているだけの人間よりも給料が何倍も少ないわけ、と多かれ少なかれ思いはじめているのです。「理系白書」とか読むといいかもしれない。

一昔前のタイプの研究者になんでこんな低賃金なんでしょうね、というと「好きなことさせてもらっているんだから、これ以上贅沢言ったらオテントさまに怒られる」って逆にどなられたりします。うへー、と私は思ってしまう。だから町山さんのアジテーションはナカムラ教授にも通じるアジテーションなのです。これは必要なことだ。クリエイターが、上記バーター取引の内面化から解放されるには、ナカムラ教授や、町山さんのアジテーションが必要なのです。

で、私が思うのは、もう中抜きでええやん、ということ。ガタガタいわんと、間は全部はずせえ、という怒りなのです。全員好きなことできるようにせーや、と。好きなことやれば誰だってクリエイターだ。まー、だから怒っている人たち、なわけです。私も含めて。それに対して怒ってもしょうがないから、ちゃんと説明しないとダメです。例えばsvnseedsが上の二段目で言っている、「情報選択の手段と自由は個人にあるはず」とかいっても、私が特許の申請用紙の前にいざすわったら、その書類手続きのややこしさに愕然とするわけです。自由はそこにない。実感としてないから、モデルで説明されてもダメなのです。で、昔来た道とちがって、技術的に中抜きでもほとんどいけるわけですね。なおかつ山にこもる必要もない。職を失う人間続出かもしれんが、「好きなことしろ」でいいと思うのです。あと、中抜きって言葉、どーもダメです。私の言語感覚がバイアスかかりまくりってのはわかるんだけど。

それにしてもいつも丁寧に解説してくれるid:flapjackさん!私の言いたいことをいつも読まれまくり、という感じでありがたいやら、ああ、オレってダメだなあと思うやら。