というわけで、id:svnseedsがまたお返事をかいてくれた。簡単に感想を書いておくと、信号機がなくなったらどうなるか、ってことなんだよな。信号機ってべらぼうに高価なわけだが、いまどき信号機をなくしても可能な交通形態はあるんじゃない、と思うわけです。車各々に相互交信機能を持たせればよいわけです。南イタリアの交差点における運転手同士の目くばせ交信のハイテクバージョンだ。例えば簡単に想像てきる良い点は、田舎道のなんでこんなところに、信号機があるわけ?ってな他の車がまったくこない交差点でアホ面して赤信号をまたなくてもよくなるわけ。*1

消費者にとってのリスク分散ないし低価格なサービスを享受するための大企業擁護、ってのはうなずけません。これは大企業の論理で一種の恫喝。山ごもりするしかない、なんて私は考えない。信号機をなくせ、そのかわりオレは自分の交信機能をグレードアップする、ってなわけだ。情報を選択する手段と自由をもう一度個人に戻すことができる、といいかえてもいい。

*1:あらかじめ言っておくが、この手の話をかくと、あちらこちらから詳細な点の批判がありそうである。その方法ではこんなエラーが、とか。そうした詳細の批判に対しては私は応答しない。日本における議論が無限後退するのは詳細の批判で終始してなにもうみださないことが理由だ。結局ガイアツ待望、とあいなる。これでいつも私は参る。