ヒッチハイク

フリーライダー、というある種揶揄の感を込めた言葉を耳にすると私がすぐさまに連想するのはヒッチハイカーである。ただ乗り、というのならばヒッチハイクはまさにただ乗りそのものだ。私は割とヒッチハイクをする。今でもする。学生の時分には、割と、どころではなく旅に出たらヒッチハイクを繰り返していた。どうせ野宿でどこででも寝るのだから、交通費なんてもったいない、ということももちろんあった。でも同時にヒッチハイクは楽しい、という理由もある。ヒッチハイクをするために、臭いと悪いよなあ、と思って野宿はしても風呂には入る、とまでしていた。

ヒッチハイクに抵抗を感じない人間と、ヒッチハイクをしたこともない、という人間がいる。一昨日うちで飲んでいたベルリン出身のドイツ人はヒッチハイクの猛者で、学生の時分にフランス、スペイン、ギリシャとさまざまな場所をヒッチハイクで回っている。かくして話題は、オレはこんなすごいヒッチをした、という自慢合戦になるわけだが(オレはこんなに凄かった合戦)、私の都井岬→別府の最速ヒッチに比べたら、ベルリン→バルセロナ一本背負いのほうがスゴい。負けた。

でもこの一本背負い、すなわち一台でベルリン→バルセロナの裏には、社会的なサポートがある。壁がまだあったころのベルリン、おもなチェックポイントは二つであり、それぞれ北と南にあった。南側のチェックポイントは”ドライリン”という場所で、車がそこを通過するときには極端に速度を落とす必要があったので、チェックポイントの駐車場周辺はヒッチハイクの要所だったそうである。常にヒッチハイカーが100人ほど待機しており、このあたりがドイツ人気質なのだが誰がどこに行きたいのか、という情報がいつの間にか整理統合されて、停まる車が行き先を言うたびにその目的地に合致するヒッチハイカーに声がかけられ、次々と乗り込んでいく、という塩梅だったのだ。中には待ちくたびれて、他のヒッチハイカーと酒盛りを始める輩までおり、旅の話で夢中になっているうちに目的地に向かう車が現れ声がかかるのだが、「次のでいくから、とりあえずパス」といいながら次のビールを開ける、という本末転倒というかなんというか、これまたいかにもヒッチハイカーなのだった。

ヒッチハイクは人との出会いである。道路わきに立ち尽くしてひたすら待つ。親指を立ててはいるものの、徹底して受動的な存在だ。選ばれることを待つ。ただひたすら待って、ドライバーが何気なく停止してくれるのを待ちつづけるのだ。通り過ぎてゆく車のうちの一台のドライバーと目が合い、ウィンカーが出た瞬間にヒッチハイカーは急いで車に駆け寄る。ヒッチハイカーは行き先を述べ、ドライバーはドライバーの行き先を述べ、ああ、だったら、とヒッチハイカーは車に乗り込む。

ドライバーとヒッチハイカーの関係は非対称である。乗せた人と乗せてもらった人。道路わきに立ち尽くしていたときの受動性が消えないまま、ドライバーとヒッチハイカーの会話が始まる。ドライバーは大抵、饒舌だ。人生のこと、仕事のこと、家族のこと。車の中、という私的な空間性も作用しているにちがいないが、そこに入った馬の骨たるヒッチハイカーは、ドライバーの心情吐露を、そうなんですか、などと相槌をつきながら聞く。ヒッチハイカーは馬の骨であり、若造であり、教えられるべき存在なのである。ドライバーは人生観を語り、教え、ヒッチハイカーはそれを聞く。なぜかそうゆうことになっている。これはとても面白い経験である。なぜならば面識も利害関係もない人間がともかくもなにか教えよう、とか会話を楽しもう、という積極的な態度を見せるからだ。路上ですれ違う赤の他人とはちょっと違う。拾った、というコミットメントもドライバーの側の意識にあるからだろう。

上記友人はギリシャからの帰路、紛争中のユーゴスラビアで親指を立てているうちに、地元警察に捕まり、30分以内に街を出なければ収監する、と言い渡された。すでに12時間路上に立ち尽くしていた友人は、絶望的な気分で再び路上に立ち、親指を立てる。なにも食べていないので腹は減り、水だけを飲んで親指を立てる。もうダメだ、と思い始めた次の瞬間、ピカピカのポルシェが目の前に停車。目を疑いながら運転手を見やると若い金髪の美女が、ドイツに帰るところだ、という。あまりにうそ臭いので、これは幻かと豪速で走るポルシェの中で友人は心底悩んだそうだが、友人はベルリンに帰着した。

ヒッチハイカーはあまり絶望する必要がない。立ち尽くしていても、いつかは誰かが拾ってくれる。これは確実にいえることだ。時間はかかるかもしれないが、かならず誰かが現れる。この確信は、ヒッチハイクを重ねるほど深まる。どうにかなる、という確信だ。この確信はあくまでもドライバー全体に対する根拠のない信頼に過ぎない。単に経験に補強される確信なのだ。

私はこのヒッチハイカーの確信は社会に対する信頼に延長されるように思う。誰かが無償で助けてくれるだろう。ヒッチハイクは宗教的な巡礼に似ている。社会に対する根拠なき信頼を深めるための旅。伊勢参りに歩いた江戸の人々も、なんらかの形で人の助けを必要とする場面があっただろう。私と上記友人は”ヒッチハイクを若者の義務とすべきである”と結論した。酔っ払ってはいたが、あながち悪いアイデアでもないかもしれない。