横向きに進む

人間の体はどうも前後軸(背中と腹を結ぶ軸)の動きに対応して作られている。カニ歩きで日々過ごしている人間がいないことからもわかるように、そもそもがそのようにデザインされている。この運動方向のプリファレンスは人間が使う乗り物にも延長されている。自転車、自動車、バイク、いずれも前後軸と乗り物の運動方向は一致している。横向きの座席の電車はあるが、運転手はやはり前向きだ。運動というだけではなく、視認性という問題も大きいだろう。人間の視野は前向き180度なので、横向きに運転するような乗り物では視認性が低下する。ではこの視認性の問題を解決した場合はどうだろ。例えば人間の視野と同じだけの視野をもつモニターで、前進する方向が常に確認できるようにする。しかし運転する人間は、横向きに座ることを望むだろうか。もの好きの人間でなければ、おそらく前向きに座ることを望むだろう。単に、横向きで動いていくのはなんとなく不自然だからである。また、衝突したときに横向きのほうが前向きよりも反応がおそらく遅れるし、また、身体への損傷も大きいだろう。肋骨の形状をみればわかるが、横向きの圧迫にはあまり向いていない構造だ。

なぜこんなことをくだくだ書いているかというと、スキーとスノボ、という話を見かけたからだ。私はスノボを始めてからスキーを止めてしまった。たぶん横向きの前進運動にとりつかれてしまったからだと思う。上のリンクでは二つのスポーツに共通する感覚が、”あの感覚”として語られている。その共有がありながらも、他者による視線の意識のしかたが違う、としている。これはちょっと私には納得しがたい。筆者の目的がちがったところにある、というのはわかるけれど。

どうしても掘り下げたくなるのは、”あの感覚”の違いだ。スノボをしているときに運動方向に対して、完全に横向きではないが、私の体軸はナナメになっている。したがって、カーブをするときにはナナメ後ろにGがかかる。前進方向を0°とすれば、体軸は時計回りに平均して45度、ひねりを加えてー20°ぐらいから90度の間を揺らいでいる。*1体のねじりに伴って、身体が感じる運動方向は常に変化しつづけ、また、体が感じるGもさまざまな角度に変化する。スキーの場合、この運動方向の変化が極めて限られている。運動方向と体軸の向きは常に一致していることがもとめられるのだ。解が一つしかない、といってもいい。私がスノボに感じる豊かさは、たぶんGの方向、運動の方向、体軸の方向のさまざまなコンビネーションを感じることができるからだ、と思う。不自然な横向き運動の魅力、なのだ。書いていて気がついたが、これは芸術的に美味な料理にとても似ている。芸術的な料理には次元が多い。目にして、箸でつまみ、口に入れ、咀嚼し、嚥下するまでという時間軸と、口腔の違った場所で広がる空間軸、といったことなる次元を感じさせてくれ、なおかつこれらのズレを含む複雑な情報が脳内で統合されたときに芸術的な料理は完成する。スノボもこれによく似ている。どこかがズレている。それを脳が感じるのだ。それを私は”あの感覚”と呼びたい。

*1:高速滑走の場合は、この変化が小さくなる。でないと転ぶ