カメルーン事情

まあ、そんなわけで少しカメルーンのことなどを調べてみる。私の印象では、サッカー選手の活躍などもあってカメルーンはその周囲の諸国に比べて珍しく平和でうまく行っているアフリカの国、という印象がある。単なる印象でしかないのだが、いろいろ眺めているうちに、宗主国に対する服従がそうした印象を与えているのではないか、と思った。ある意味、日本に似ている。

カメルーンはアフリカ中央西部に位置し、大西洋に面している。平均寿命は48歳。近年のエイズ流行が平均寿命を押し下げている(2001年の時点で、感染者が成人の11.8パーセント)。とはいえ、豊かだ、という印象はあまり間違っていなかったようだ。識字率こそ79パーセント(CIA)だが、初等教育の就学率はアフリカで一番高い、という。また経済的にも石油が出るので、このことが豊かさのバックボーンになっているのだろう。地理的にも海岸線があり、山もある。魚も肉も野菜も豊富にあって、飯がとてつもなくうまいのだ、という上記留学生の言葉はおそらく地元贔屓ということではなく、本当においしいのだろう。行ってみたいなあ、と思い始める。

さて、歴史について。一番最初にカメルーンに住んでいたのはバカス(ピグミー)である。彼らは今でも南部や西部の森に住んでいる。カメルーンは15世紀にポルトガル人によって探検されている。この頃に、今のカメルーン山南部の河口がポルトガル人によって"Rio das Camerões"(海老の川)と名づけられ、それがカメルーンの国名の由来となる。1770年代から1800年にかけて、北部にはイスラム系の民族が侵入し、先住民を追いやった。17世紀には商人達が駐留地を海岸沿いに建設、奴隷、象牙、ゴムの貿易を行った。奴隷貿易に関する詳しい話はあまりに見かけない。1711から1810の間にアフリカ海岸で行われた奴隷貿易のうち、ほぼ1/4はカメルーンからである。上で「楽園のような世界」と書いたが、17世紀から何百年も奴隷狩りが行われていた、ということだ。このあたりの歴史をカメルーン人自身はどのように記述しているのか知りたいところだが、そこまではサーチがいいたらず。

大抵の通史は、留学生自身が言ったように植民地化がその始まり、である。

1884年にドイツ保護領、第1次世界大戦後には西がイギリス、東がフランスの植民地として分断された。1960年の東カメルーン独立を期に、1961年西カメルーンが独立し1972年に東西が合併、1982年に国名を変更、 1991年にナイジェリアの1部地域を併合し、現在の国の基礎が形成された。

 だが、この歴史柄、サッカー的には非常に恵まれた状況にあったこともまた事実である。1880年代にドイツ人からサッカーを教わったため歴史は古い。その後は、イギリスとフランスの影響を受ける。現在でも、この3カ国のチームに所属する選手も多いのが特徴。特に、フランスで幼少期から過ごす選手が多く、そのままフランスの優れたユースシステムで育つ若手が代表の根幹を占めている。
引用元

イギリスとフランスによる分割統治は今でも影響を残しており、英語圏と仏語圏があるそうである。仏語圏がほとんど。ついでに手話まで分かれている。

アフリカのカメルーンの事例では、アメリカとフランスの二国によって分断統治されていた事情を直接に受けて、現在ろう者の間で話されている手話も
フランス手話系統の手話とアメリカ手話系統と、一国内で真っ二つに分かれてしまっている。まさにカメルーンの歴史・政治が手話に明確に反映してい
るのだ。手話における言語帝国主義の問題は決して過去の話ではなく、まさしく現在進行中の事態なのである。
引用元

ちなみに、このアメリカによる統治というのは間違いで、イギリス。

最近の事情。上記留学生によれば、過去20年間、ずっと同じ大統領なのだそうである。任期終了が近くなると、任期をのばしたり、再選可能回数をふやしたり、しているのだそうだ。それでも国民の支持率が80パーセント近いという。極東の某島国は特にこうした事情があるわけではないが、政権に対する国民の異様な高支持率は似通っている。フランスの一昨年の選挙で、シラクと極右候補の戦いになったときに、なにはともあれ、ということでシラクの支持率が80パーセントまでいった、とうろおぼえで記憶している。うちの研究所のフランス人は大変だ、と揃って週末に帰国、投票していた。このときの選挙結果の巷の論評が、「ここはアフリカか?」というものだった。日本の外務省情報によれば、この大統領はポール・ビア大統領。82年以来、二回再選を果たし、次の選挙は10月。83年には前大統領にして初代大統領のアジョを追い出している。アジョはフランスに亡命。「カメルーン共和国」という名前になったのは1984年1月である。というわけで、今の大統領は、二代目、なのである。同年4月にはビヤ政権転覆が試みられているが、ビヤはこれを排除。

1994年にはナイジェリアが油田を奪おうとバカシ半島の侵略を試みている。ナイジェリアの言い分は、19世紀の条約に基づけばバカシ半島はナイジェリアの領地である、とのこと。二国間の交渉は国際司法裁判所に持ち込まれたが、同年9月には再び半島を攻撃、カメルーン兵10人死亡。1996年1月から5月の間にも単発的に武力衝突が起きている。同年5月には国連による事実関係把握のための調査隊派遣を両国が同意。

ところで、カメルーン語ってどんなんだ、と聞いたが、いやそんなのないんだ、方言がちょっとあるだけだ、と留学生言っていた。フランス語と英語で喋るのだ、という。で、”方言”についてちょっと調べてみたが、部族語ということらしい。なんと部族語は286種類もある。言語マップはこちら。いやはや。