迷惑な家族

それにしても思うのだが、周りの人間にとっては、たしかに迷惑だっただろう。などと書くと、矛盾しているように聞こえるかもしれないが、そうではない。

危険な地帯で人質になり、人の手を煩わせた。人質の彼らが、迷惑をかけました、というべきは、私の感覚ではまずは最も心配していたであろう本人の家族たちに対してである。そして救出運動に関わった政府やNGOの関係者にも、迷惑をかけました、というのが、まあ、私だったらそうする。彼らにとってはそれが生業なのであるから、感謝しなければいけない、という義務ではないが、まずはお世話になりました、とでもいうのが普通の大人である。役所の窓口で、お世話になりました、というのと同じことだ。迷惑をかけまくって生きてきた人間ならば、迷惑をかけなれているとでもいうのか、こうした事態における所作が少しは身についているものだと思うが、挫折や失敗で周りに迷惑をかけたことがないと、こんな感じになるのかなあ、と思った。これは非難ではない。人質の三人、よっぽどこれまで優等生だったのではないか。そんな優等生で育ってしまった人間もいるわけね、という感想である。もしかしたら、彼ら3人はそろいもそろって初めての大きな挫折でPTSDなのかもしれないのだ。

繰り返すが、こうした家族レベルで感じることと、国家権力が「迷惑」と言い出すことはまったく別の話である。別の話であることを強調したいので、もう少しだけ付け加える。件の人質達は、家族や事件に関わった当事者以外の、その他大勢のテレビなりネットで、図らずして心配してしまったアカの他人に対しても、迷惑をかけました、というべきなのだろうか?その必要は全くない、と私は思う。テレビやネットを見て心配したのはテメエの勝手、である。しかしこのテメエの勝手な心配が(片思いと、それが果たせなかったときの逆ギレによく似ていないか)、なぜか圧力となってイジメになり、あまつさえ20億円(?)をたちどころに用意した国にしておそらく微々たる30数万円というカネ、しかしながらフリーXXな人間にとっては莫大な金を払わせるという。国家の行うことにしてはこれまた実に姑息にしてムラ的な嫌がらせである。