迷惑ではない国民

今の小泉政権に自己責任を問われることなく、ましてやムリヤリ飛行機に乗せられて、ドイツから正規のエコノミー料金で日本に強制送還されないために、私はいかなる日本国民であるべきなのだろうか。

身体強健、日本国のために科学研究に邁進し、政府の方針に逆らうことなく祖国の繁栄を願う日本男児、だろうか。年金はらってくれんのかよ、などと間違っても口にしてはいけない。そんな疑問を口にすれば、日本国の年金政策に対する疑いを増長する可能性がある。すなわち、「迷惑」である。あるいは個人情報保護法に対してなんらかの批判をすること、例えば、週末に「噂の真相」@休刊編集長は個人情報保護法に対する警告を発したのであるが、この発言はやはり現政権にとって、「迷惑」な話かもしれない。「迷惑」はかくもあいまいな言葉である。国家に対する個人の迷惑、はあらゆる点において適用可能だろう。

私は家族の中の迷惑者なので、迷惑をかけるな、という言葉を聞くと思わずぎくりとする。というほどでもないが、私という人間は、日本という国家に対して迷惑をかけているだろうか、と少々心配になりはじめる。でもすぐに私は、市民が国家に迷惑をかけた、という発想自体が理解できないことに思い当たる。迷惑をかける、というのはよくいってもムラの発想である。

ある日思春期の子供がムラから忽然と消える。ムラは総出で捜索する。すわ、神隠しか、と夜を徹した捜索が行われ、村民は疲労困憊。熊に食われたのかもしれんと、村民がささやき始めた次の日にひょっこり子供がムラに帰ってくる。子供は、日があるうちにもどれそうにもなかったので、岩の陰で寝てた、という。バカが、なにやっていたんだ、ムラは総出で探したんだぞ、と怒鳴り散らされる子供。みんな寝ないで心配したんだぞ。この子供は内心、心配してくれなんて頼んだ覚えはない、とつぶやくかもしれないが、この子供は確かにムラの迷惑者である。このクソガキが、である。しかしこれはムラの話だ。近代国家は、ムラではない。迷惑をかけてはいけない、というこのムラ感覚が、齢10年ほどの言葉とないまぜになって、目下大声で語られている。

と、ここまでうらみつらみな気分で書いていたら、「ムラじゃん」、と指摘する浅田彰さんのアップデートが。あー。この項を書くのは一時休止。新たなアップデートの部分には賛同する部分多である。

[追記]

ムラみたいだ、ということで終わってはとてもではないが、足りない。ムラ(家族)→国家という浸潤に加えて、国家→家族という浸潤が亢進しているのである。「迷惑だ」とあえて漏らす某首相の擦り寄りは、そもそもの「なんてったってコイズミ」の小泉今日子憑依を思い出すまでもなく、後者なのである。2ちゃんねらーなのは、もしかしたら首相自身だ