サイエンス誌も注目 「日本独自の発信」活発化

これはよいこと。分野によっては日本語でやっちゃってもかまわんと思うのだが。自然科学の論文は絶対的な評価がありえる、と私は思っている。おもしろい論文は別の分野でも、おお、すげえ、と感心する。のだが、欧米の戦略を見ていると、特定のトピックに集中して投資することで、サイエンスとしてたいしたことがなくても、単にそのトピックに関わっている人間が多いから大ニュースになってトップジャーナルに掲載される、という作為的な面がある。お金で話題にしてしまうのだ。サイエンスやネイチャーにもそうした論文がいつもある。部外者から見たら「え、なんでこんな論文が?」と思ったりする。

 −2001年のノーベル化学賞受賞者で理化学研究所理事長の野依良治博士は、外国誌に論文を投稿した場合、審査過程が「ブラック・ボックス」のように不透明で、また掲載前に日本人の研究成果が盗作される、という不満が出ていることを指摘した。

ブラックボックスは上で指摘したようなジャーゴン論文に「なんで?」と思う不思議さに限らない。これはとても重要な「言語弱者」たる日本科学界の問題で、野依さんが「ブラック・ボックス」といっているのは、欧米のサイエンティフィックコミュニティのことだ。ネイチャー、サイエンスといったトップのジャーナルの編集者は、欧米の学会や大学を四六時中ウロウロしているが、日本の学界ではみかけない。ウロウロしている編集者は発表している科学者と雑談して、あー、そのネタうちのほうに投稿したら、なんて友達関係にあったりするのだった。日本はこうしたコネからあきらかに外れている。

欧米の学術誌から見たら、日本の研究者が投稿してくる論文はあくまでも「日本人の論文」であって、名無しの認識になることが少なくない。学会発表などでも、夜話しているときに、「だれそれさんの発表はなになにだったね」と話題になるときに、欧米の人間だと個人名でトピックになるけど、日本人は全部「あのジャパニーズグループが」となる。(てなわけで、ネイチャー連発の英国著名細胞生物学者に向かって、ジャパニーズグループでなくて、個人名でいえ、差別だ、といちゃもんつけたら「だって日本人の名前は発音しにくい」と切り替えされてしまった。とほほ)同じように、日本人科学者の投稿は、お客さん扱いの気分、他者という気分がぬけないのである。だったら、日本は日本でやりゃあいいじゃん、と私はずっと思っている。三極になるのは悪いことではない。それだけの実力はあるのだから、植民地から投稿させてもらってます、という態度はいいかげん止めたらどうか、と思う。

ところで上のサイト、翻訳が間違っているところが。

「本誌「サイエンス」の場合も、同じ期間に日本の研究者からの投稿は約5割増えている。ただし掲載数は横ばい状態だ。」

の原文は

Over the same period, the number of Japanese authors on research papers in Science has grown by roughly half, although the overall number of published papers has held steady.

なんで、一報当たりにつめこまれる日本人著者の数が5割増えた、ということです。掲載論文の数はかわらない。「お名前いれときますね」の増加だ。投稿数が増えたわけではない。なんてセコイことしていないで、日本発の超一流雑誌つくるのだ!

オリジナルは、
Japan Ponders Starting a Global Journal
Science, Vol 303, Issue 5664, 1599 , 12 March 2004