男の育児参加
引用。
ええと…何が言いたいのかというと。
クマとかヒヨコとかで、意図的に男性を除外してはいないのか。
「男性の育児参加を!」
と言いながら、子供とか赤ちゃん関連の施設やサービスが、母性だだ漏れすぎて、男性が敬遠するのでは?と思う。
もちろん子供が喜ぶようなおもちゃとか、歌とかは必要ですが、あまりにもオンナオンナしすぎていると、男性は困ってしまうでしょう。育児休暇を取っている男性がいたら、かわいそうだなあと想像してしまった。
女しかいないからって、ケープもせずにおっぱい出してちゃ、男の人が来られないでしょう、一生。母性だだ漏れの「子育て支援センター」
http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/20090427/1240814235
これに次のようなコメントをしたのだが
「母性全開で育ててまーす。男でもやればできる。でもおっぱい出しまくりの会(ベビーマッサージの会があるのだが)には微妙に行きにくい。」
シングルファザーとして、もうすこし詳しく*1。
おっぱいを赤ん坊にあげている女性を目撃してしまう私はべつにいいのだろうけど、その女性がそれに気がついてからだの向きを隠すように変えたり、はっとした感じで目線をはずかしそうにそらされると、これがもういけない。私は悪いことをしてしまったようなとてもバツの悪い気分になる。ピーピングトム。堂々とはずかしがらないでおっぱいをあげている人は、かえってさばさばしていて、こちらも困らないんだけど。
とはいえ、本質はおっぱいがみえてしまうかどうか、というよりも「母性だだ漏れ」という状況のこと。くまのぬいぐるみやら、ミッフィーやらはどうでもいい。私にしてもすでに「かわいい子がここにいまちゅねー、オシメいましゅぐかえちゃいますからねー」などと一オクターブ高い声で赤ちゃん言葉を連発しながら、こちらのよだれも垂れそうな勢いで”母性”全開なのである。でも圧倒的に母親であるグループの中ではどうも会話がうまくいかない、というか、やっぱりマイノリティなんだよな。これはもう、仕方がないことなのだろうか。
関係ないけど(関係あるかも)、父親に母親の代わりは所詮つとまらない、という大前提というかなんというか、そうした世の中の見方をしばしば感じる。母親という存在は赤ん坊にとってなににも変えがたい存在である、と自認しているのが特にその母親自身たちだったりする。いなくてもだいじょうぶだよーと私は思っているけど、これってやっぱり強烈な社会の前提になっているのだよな。ワタクシ、まさにマイノリティなり*2。
連絡
3月以来、いろいろな方からお悔やみのメールをたくさんいただいているのですが、なんというかどうも返事がかけてません。どれも心のこもったものばかりなので、ひとつづつお返事をしようと思ってきたのだけれど、ぼけっとしているあいだにずいぶん時間がたってしまった。心配をかけているのにずいぶん失礼なことをしてしまっています。学部時代の仲間、先生、日本の大学院時代の仲間や先生からもメールをいただいており、ここを読んでいる方が多いとのこと。簡単ながら、お返事はもうちょっと待ってください、ということでご挨拶にかえさせていただきます。私も息子も互いに父親初心者、息子初心者ということでぎこちないですが、元気にやっています。学部時代の先生方、一緒に科学をまなんだ仲間たちからは、毎週金曜日に鉢植えの花が届けられていてそのたびに感動しています。かつての山仲間からも温かい手紙や、贈り物をいただいていて、感謝しています(ゲンちゃんのコンパイルした”子連れ狼”CDには度肝を抜かれたが)。ありがとう。なお、6月は息子ともどもほぼ一ヶ月日本にいる予定です。