シンガポール面談 

滞在後半は集中講義もそこそこ、怒涛のように人に会うことになってちょっとヘロヘロ。日本にいたときの古の大学院仲間のところにいってセミナーをしたら実は多方面の知り合いが何人もいて(旧知の日本人が”my old boy friend”のセミナーであるとメールで広報したらしく、なんだー、しらなかったー、そうだったんだーと何人かにいわれた。うーむ。誤解をうむよな、そりゃ。)、廊下をあるいていたらつぎつぎ立ち話。知らない場所にいるような気がしなかった。そのうちイギリス人とは後に飲むことになり、オランダビレッジなるところにつれていかれた。このエリアは滞在中もっともアジアっぽい場所で、やっと東南アジアに来た、という感じがした。その友達だというロシア人の科学者カップルの家に連れて行かれてウォッカを振舞われ、例のごとくつぎつぎ一気なので降参。
バブルの巨塔、バイオポリスの細胞生物のディレクターというフランス人のエライ人には某企業との食事で知り合いになり、翌日そのいかにもタフな闘士型のフランス親父の研究室に呼びだされてディスカッション。共通の知人が何人もいてこれまたびっくり。ヨーロッパの科学業界とシンガポールの科学業界はかなり一体化しつつあるなあ、と思った。分野も重なっている部分が多く、共同研究の話など。研究室の台湾人には飲みに連れて行ってもらってこれまたなかなか楽しかった。なかなか優秀な研究者で、院生以来ずっとフランス親父について、パリからシンガポールについてきたのだそうである。
いろいろな人と話して思ったが、欧米の研究者はシンガポールの強烈な官僚制に驚いている。ドイツやフランスにしても官僚によるコントロールはかなりきついけれど、一応個々の研究者と官僚の間に、研究者の労働組合とでもいえる科学者コミュニティがバッフアーゾーンとして機能している。科学者のコミュニティーで政策提言なぞする、というのはまあ、あたりまえの話だ。それすなわち学会、ということになるのだが、日本の学会は組合としての機能はあまりないだろう。したがって日本でも官僚機構に個々の研究者がガチでコントロールされているところがあるので、シンガポールの話はあまり異様であるとは私は思わなかった(アジア的である)が、初めて体験する側からしたら、なにこれ、なんだろうな。官僚が学者に5年で金を産め、とかいったりするところがなんか日本に似ているよ、ほんと。まあ、日本はそこまで採算重視ではないか。
滞在中の移動はすべてタクシー。物価に比較してものすごく安いのでかくなることになるのだが、人件費がむちゃくちゃ安いんだろうな。ダッシュボードが仏壇化しているタクシーを何台かみかけた。車窓からは雨の中でも無蓋トラックの荷台で傘をさして移動する出稼ぎ労働者たちをよく見かけた。日本の80年代バブル的状況に加えてこの格差。去り際に、バブルで近視眼的な研究環境に悩む、私を招待してくれたアメリカ人にシンガポールはどうだった?と聞かれたので、Wild capitalism を目の当たりにするのもまあおもしろいよね、と答えたら、うんうん、とうなずいていた。

シンガポール観光、食事

まともな観光らしきものをしたのは最終日の土曜日だけ。前述のフランス親父が、みるべきものはないが、植物園とアジア文明博物館だけはいっておくといい、というので、あまり観光をするつもりはなかったのだが、興味がでてきたので土曜の午後チェックアウトしたあとふらふらと歩いて植物園へ。
http://www.sbg.org.sg
事前になにも調べていかなかったのだが、入り口で案内のパンフレットをみつけ、19世紀半ばからある伝統ある植物園であることを知る。ヨーロッパによくある植物公園の雰囲気だが、生えている植物がなにしろ熱帯。気根や盤根はかつて屋久島でサルを追いかけていたときに見慣れているので懐かしいぐらいの感じだったのだが、なにしろ寄生植物が多く、一本の木がさまざまな植物に寄生されてそれだけで小宇宙のジャングルになっているような場面に出くわし、そのたくましさになんというか脱帽である。

思ったよりもかなり広大で南端から蘭園にたどりついたころにはかなりへとへと。金を払って中に入る前に偶然中曽根元帝国海軍主計少佐が寄贈した木をみかけた。なにかと東南アジアに縁の深い人である。

蘭園で奇怪なありえぬ色調の花々を眺め、温室あらぬ冷室を通過しながら、冷室とはここはやはり熱帯の植物園、などと熱気と湿気に少なからず朦朧としつつ公園中央部まで歩く。全部を見るのをあきらめ、そこからタクシーでアジア文明博物館へ。
http://www.acm.org.sg
特別展のひとつが、中国共産党のプロパガンダの特集。あまり展示品はなかったけど、おもしろかった。

インテリをつるし上げたことで有名な紅衛兵の腕章、話には聞いたが実物を見たのは初めてだった。

「大批判」とかかれた陶製の人形など、うちにひとつ置いておきたいほど文革感でいっぱい。赤木某氏にも勧めたいなあ。堂々たる労働者に比して文字どおりつるし上げられたプチブルはサイズまでプチ。わは。

もちろん、毛語録なども展示されていた。これはサンフランシスコの書店で見たことがあったようなないような。

ほかにもこんな絵本とか。

常設展示はかなり膨大で、東南アジア・南アジアの仏教美術を一同に眺めることができるので、インドの仏像が一番グラマーなどと私は思った。ほとんど客がいないので、シンガポールの雑踏に疲れた方々にはおすすめ。一室は貸切でたまたま結婚式をしていたので、着飾った若い人たちを眺めることができたのもよかった。
各国料理の集まるシンガポールだけにあちらこちら案内されていろいろ食ったが、結局感動したのはいずれも一人でいった台湾料理の鼎泰豐(ディンタイフォン)およびとんかつ屋とん吉。前者ではアホみたいに7品頼んだのだが、傑作は最初にでてきたセロリキューブのにんにく和え。なんでこんな微妙な味付けが可能なのだ、といまだに考えているのだが、なにか回答が出たら自分で作ってみようと思っている。

葱油かもしれないなあ。"酔った鴨"なる冷菜がこれまたうまかったが、輪をかけてレシピは不明。酒の味は確かにするが、酒蒸しってわけでもないみたいだし。
とんかつ屋伊勢丹の中にあり日本でもめったに食べることができないぐらい、上手に揚げられたとんかつ。すりゴマに和風ドレッシングをかけて食べる、という説明をしてくれたシンガポール人のおばちゃんが次々にキャベツの千切りを追加してくれるのがまたなんともよい雰囲気だった。店の名前は忘れてしまったが、ドイツ人に連れて行かれた和食の居酒屋で鯵がカウンターのケースに並んでいたんで刺身にしてもらったら実にうまかった。ほかの刺身はダメダメだったけど。ドイツ人の奥さんはタイ人で、小さな男の子がふたりいるのだが、いずれもジャニーズ系な美少年で、しばし一緒に遊んでのちに少々いじわるしたら、小さいほうが「もう遊んであげない」とむくれてしまい、その様子があまりにかわいいので私は柄にもなく相好を崩してしまった。
パラゴンというオーチャード通りにあるショッピングセンターの地下に入ったら、輸入された日本の食材が普通にずらっと並んでてオドロイタ。おもわずナメコと舞茸を買って帰ることにしてしまった。他にも寄せ豆腐だの、塩鮭、ちりめんじゃこ、云々云々、と日本のデパ地下と一緒である。HMVに行ったら「オリコンチャートで人気急上昇中!」とかで日本のアイドルのCDが並んでいるし、同じくオーチャード通り沿いにある高島屋紀伊国屋に入ったら、当然英語の本ばかりではあるがかなりの面積が日本語の本だった。日本軍のシンガポール攻略に関する本を二冊かって、飛行機に乗る前に腹ごしらえ、と思ってパネルを眺めたら地下には吉野家が。牛丼をかき込みながら、なんか東京のどこかににいるような気がしてならなかったのはあながち間違いではないかもしれない、と思った。