ジャームッシュ氏と契約を交わした。関係ない話題で二時間も喋りこんでしまった。件の彼女は大工さんなのだそうである。昨年ヨーロッパフトンのことを書いたのだが、そのログに登場する店員(実はたった一人の社長なのであるということが後日うちまでフトンを配達しに来た折にお茶話に知った)も懇意の知り合いなのだそうで、若手手工業職人のサークルみたいなものが我が街にはあるのだなあ、と思った。

長所だけど短所

「賢い踏切」実験へ 国交省、開かずの踏切で緊急対策
この”賢さ”の説明を読んで -即ち、列車の速度に対応して踏み切りの遮断時間を調整する- 日本ってこんなところにこだわるんだなあ、と感心する一方で、悪いところでもあるよなー、とも思う。要するに本質的解決ではないからである。
確かに「開かずの踏み切り」の問題の解決は焦眉の課題である。しかし、どうかんがえてもその本質的な解決は、立体交差しかありえない。より長期的には首都機能分散、といったことも論じられるべきトピックである。これらの本質的解決には時間がかかる。立体交差の工事にしても、交通密度が高い状況では現場の設置自体が曲芸に近い状態になり、余計な手間と時間がかかることはあきらかである。そこで小さな工夫をすることでなんとか問題をやりすごすことになる。”賢い踏み切り”がまさにそうした対応である。すごい、と思うのはそれがおそらく機能することである。日本の凄さはこうした小さな工夫を重ねることで本質的な解決の先延ばしを可能にすることであり、これはヨーロッパにしろ、米国にしろ、アリエナイ。能力ないしはそうした発想が存在しないのだ。だとしたら欧米ではどうするのか。大掛かりに本質的解決をするのである。時間がかかって、周りの人間は大いに迷惑する。しかしそれ以外に手段を持たないので、我慢するしかないのである。
抜群のマイクロ工夫能力は日本オリジナルの凄さなのだが欠点でもある。本質的解決が延々と先延ばしになるからである。本来は首都機能のあり方を根本から考えてその解決方策を実行実践すべきなのだが、マイクロ工夫能力はその必要性を次々と隠蔽していく。”緊急対策”がいつしか緊急ではなく日常と化すのだ。オッケーオッケー、ということでツギハギだらけのシステムはとまることなく進行していく。その結果システムは非常な無理を恒常的に強いられることになり、その強度は高まってゆく一方なのだ。