Eyes on Tibet 猫屋さんの翻訳。

労作です。注目。

チベット危機:北京政府にとっての決定的賭け、ル・モンド記事翻訳
http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2008/03/post-96d6.html
抜粋。

けれど8%の少数民族は、国民イマジネーション内で、大げさな感傷的フォルクロールの色合いは帯びているものの、大きな場を占めている。特に、それら(少数民族)が住む地は壮大である。歴史的チベットひとつが、中国本土の四分の一に広がる。また北京政府は、独立運動連鎖が他少数民族−特に、中央アジア国境のムスリムXinjiang;新疆−に飛び火するリスクが、帝国を崩壊させるという脅迫観念を持っている。中国人の民族主義はそれを許さないのだ。

なお最後の部分

Le nationalisme de la population chinoise ne le permettrait pas.

は普通にナショナリズム、としてもいいのではないかと思います。漢民族民族主義、だったらOKかも。【中国人の民族主義】は【合衆国民】同様コンセプトだと思う。

ダライ・ラマ、コントロールすべき権威
http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2008/03/a-le-dala-lama-.html
抜粋。

そのリインカーネイションは彼の死ぬ前に、チベット以外の地で認識されるだろう、と彼は示唆する。また、かれの後継者は“教皇のように”選出されうる。もしチベット人たちがそのように国民投票(référendum)で選択するのであれば、ラマ制度自体の撤廃もありうる。一言で言えば、北京政府の手の内に落ちるよりは、教権の座を打ち砕くことを選ぶのだ。


チベットの復活祭
http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2008/03/post-b75f.html
[記:チベットモーツァルトがいるのだったら、復活祭だってあっていいと思うのだ。]
bah!
チベットの復活祭、続き
http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2008/03/post-3255.html

2008年3月25日夜のクリップ、
http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2008/03/2008326-61ff.html