瑣末ながら気になること

従軍慰安婦に関して日本の公式見解とされているのが1993年の”河野談話”なのだけど、これに対応する、英米メディアで使われる訳語が"Kono Statement"。でもステートメントって”定義”というニュアンスが私にはあって、どうしても”談話”とは訳せない。国内向けには談話でやわらかくして、国外向けにはStatementでハードにという当時の官僚が案出したダブルスタンダードなのだろうな、とは思う。でもその温度差の大きさ、かつては通ったのだろうけど、それが実際に国内と国外の認識の違いに反映されてもいるように思い、なおかつそのことがさまざまな余計な問題を生んでいるようにも思う。国内向け、国外向けという使い分けのメリットが情報流通の度合いの変化でデメリットにしかならなくなっている、ということなのだろう。