ひきつづき、渡世

渡世   荒川洋治 (抜粋)


お尻にさわるのもいいが
お尻にさわるという言葉は
いい
佳良な言葉だと思う
あそこにはさわれない
でもさわりたい、ことのスライドの表現
のようでもあるが
そうではない
この言葉には
核心にふれることとは
全く別の内容が
力なく浮かべられている
若いすべすべの肌にふれ
「いのちのかたち」をたしかめたい男性たちは
まとを仕留めたあとも
水が
いつまでもぬれているように
目をとじたまま お尻に
さわりつづける

ぺたぺた。

ちゅう。ちゅう。

「ね、うれしいんでしょ。これで、いいんでしょ。
でも、どうして、そんな顔になっていくの?」

そんなとき
言葉は輝く
お尻にさわる は
その力なさにおいて
輝く

谷内修三 『「渡世」と「仁義」』詩学 97年10月号より

「尻になんかさわりません」みたいなつるんとした輩を見たり「尻にさわるなんてけしからん」と大げさに顔をしかめる輩を目にするにつけ、やだやだ、と私は再び思うのである。ホンネを露悪する必要はない。でも迷いぐらい顔に漂わせろ。なお、全文はこちら(『渡世』 全文)。