ひきつづき、渡世
渡世 荒川洋治 (抜粋)
お尻にさわるのもいいが
お尻にさわるという言葉は
いい
佳良な言葉だと思う
あそこにはさわれない
でもさわりたい、ことのスライドの表現
のようでもあるが
そうではない
この言葉には
核心にふれることとは
全く別の内容が
力なく浮かべられている
若いすべすべの肌にふれ
「いのちのかたち」をたしかめたい男性たちは
まとを仕留めたあとも
水が
いつまでもぬれているように
目をとじたまま お尻に
さわりつづけるぺたぺた。
ちゅう。ちゅう。
「ね、うれしいんでしょ。これで、いいんでしょ。
でも、どうして、そんな顔になっていくの?」そんなとき
言葉は輝く
お尻にさわる は
その力なさにおいて
輝く
「尻になんかさわりません」みたいなつるんとした輩を見たり「尻にさわるなんてけしからん」と大げさに顔をしかめる輩を目にするにつけ、やだやだ、と私は再び思うのである。ホンネを露悪する必要はない。でも迷いぐらい顔に漂わせろ。なお、全文はこちら(『渡世』 全文)。