ジャイルスと築地の大和寿司
ジャイルス・ピーターソンのウェブサイトを久しぶりみていたら、日本で撮った写真ギャラリーがあった。その中の一枚。
http://www.bbc.co.uk/radio1/gillespeterson/galleries/55/2/#gallery_55
築地ではございませんか。仕事のあとそのまま行ったんだろうな、と勝手に想像。みていて思ったけどこのジャイルス・ピーターソンと東京ですれ違っても気がつかんだろうなあ。
寿司で思い出したが、昨日引用したワシントンポストの記事に「日本は目下ナショナルアイデンティティを模索しているところである」ってなことが書いてあった。日本のナショナルアイデンティティは私にとっては明白。和食、である。昨夜北海水産のあじの開きを焼きながら思ったのは、初等・高等教育で君が代を無理やり歌わせるよりも、鯵の開きの作り方とか、漬物の漬け方を無理やり習わせるほうがよほど効率的なナショナルアイデンティティの醸成になるのではないかということ。家に刺身包丁もないのに日本の「愛国心」はありえん、と思ったりする。「愛国心」をふりかざす政治家ははたして自分で鯵の開きを焼いたことがあるのだろうか。奥さんに焼かせて食っているだけだったらその「愛国精神」を私は疑う。たとえば、であるが、日本とはなにか、を説明する場合に1880年作曲の君が代を歌ったとする。非日本人はこれをもってなにを理解できるのか。非日本人が理解できないならば、日本人自身も理解できない、ということにほかならない。ナショナルアイデンティティはかくして空振りとなる。しかしながら千年以上の歴史がある焼きはまぐりを出してこれが日本だ、と説明するのは有効だと私は経験上思う。ナショナルアイデンティティとは、そうしたものではないのか。