”学生の本分”

富士日記2、7:42 oct.8 2005付より抜粋。

一文の「演劇ワークショップ」の後期はグループワークがテーマだが、五つにわけたひとつのグループに、正式な履修者が一人しかいなくて、ほかは皆、モグリの学生だとあとになってわかった。しかも、そのモグリの学生の何人かは、まったくやる気がないいいかげんな学生らしい。ここにわけのわからない学生が出現したのである。

「ぜんぜんやる気のないモグリの学生」

 わけがわからない。単位をもらうのが目的で授業に出席する正式な履修者があまりやる気がないというならわかるが、わざわざ、もぐっていて、やる気がないっていうのはいったいどういう料簡だ。わからない。

私も想像力がおいつかない。どうなってんだ。有名人を見たいってことなのかな。
あるいは”やる気がない”というあからさまな態度が定型化しているのか。すなわち、やる気がある、という態度は恥ずかしいから死んでもそんな態度はとりたくない。でもその実興味があるから一見矛盾した様子になる。今の学生の世代において「やるきがない」態度が定型化しているので、「やるきがない」態度はいわば形骸・表象であっては必ずしもやる気がないわけではない、ということなのか。でもやる気がない、というのは実際の結果を見て言っているんだろうから、これもなんか読み違えなんだろうな。とすると
(1) やる気でやったことのレベルが低下している。
(2) 「やる気」の目的・表象が全く違う。
(2)だとしたら、我々がおっさん、ということでしかないのだが。