物語への欲求

スポーツに対する沢木の文脈は常に「物語」を必要としている。その文脈は、まさに近代化途上・高度成長時のものだ。それは、負の部分を背負った個が、成長に向かって大きくドライブする集団・全体に対し悲しい抵抗を試み、いったんは勝利するがやがて敗者となって去っていく、という強い定型に支えられている。
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 沢木の文脈だと、たぶんキューバ音楽のすばらしさは「アメリカとの対立のたまもの」ということになるのかも知れない。アメリカと対立している国や民族や地域は多くあるが、キューバほど質の高い音楽を体系的に生み出している国を、わたしは他に知らない。本質は単純だ。キューバの国民がそういった質の高い音楽を求め、音楽家たちは訓練を積み必死に練習をする、ただそれだけだ。
Physical intensity 04〜05 special  村上龍

以下はリリカさんのところの引用のこれまた抜粋。

大衆小説の大部分が第一種に入る。そういう作品の場合、話の語り口よりも話の筋そのものに読者の関心はある。話が映画になったのを見る方が、きっと読者はありがたいことだろう。最も有名で最も金持の小説家(たいていアメリカ人)というのは第一種の本を製造している。われわれは読んでしまえば忘れてしまう。気晴らしにはなっても、それっきりだ。議論になるところなどありはしない。ことばの卓抜さ、思想感情のこまやかさ、性格の複雑さ、象徴性、詩情、神秘は皆無だ。
アントニイ・バージェス『バージェスの文学史 They Wrote in English』

定型であることにこだわって、定型の職人的な洗練をみせる人間がいる。私は感動する。科学は99パーセント定型である。のこりの1パーセントは自然による裏切りだ。裏切られた瞬間に私はやはり感動する。