基地の町

今住んでいる町にはNATOのヘッドクオーターがある。事実上、米軍基地の町だ。車で走ると、HKと書かれたナンバープレートの車に良く出会う。米軍の人間の車だ。私はこれまでの人生で基地の町に住んだことがないので、今目の前をなかば治外法権の人が車で走っているのだな、と思うと、最初のころは妙な気分になっていた。今ではすっかり慣れてしまった。
この街に越してきたばかりのころ、米軍の集合住宅が並んでいる街区を抜けるたびに、ああ、ここだけなんかアメリカなんだな、という印象を受けた。建物の建て方、配置、芝生の面積のバランスがどことなくアメリカなのだ。これらの集合住宅は、歩道からそのまま芝生になり、建物がある、といかにもアメリカの解放的な雰囲気をかもし出していた。3年前はそうだった。街区の縁には、タックスフリーの自動車ディーラーやら売春宿やらがあって、いかにも基地である。福生とよく似ている。米軍基地のある街はどこもなんとなく似通っている。
911のテロから半年ほどたったころに、この街区では猛烈な勢いで工事が始まった。それぞれのブロックはコンクリートでしっかりと基礎作りした高いフェンスで囲まれてしまった。テロ対策、ということなのだろう。街区に入るゲートも作られた。そのゲートには迷彩服を着て自動小銃をぶら下げた兵隊が二人、24時間常に立哨している。夜中でもゲートの開口部を強力なサーチライトが照らしている。このフェンスの内側はテロ・フリーで、外側はフルテロリズムな世界、とでもいいたいのだろうか、と私は眺める。かくなる”ホーム・セキュリティ”常に危機、という状態も、欧州の兵を削減するそうだから、少しは緩和されるのだろうか。
日本の戦後の事件史を眺めていると、米軍基地という空間がブラックホールになっている、ということにいやでも気づかされる。最近読んだのは、下川事件の話だった。知らない人のために簡単な解説をすると、1949年7月に、国鉄総裁下山定則常磐線の汽車で轢死した、という事件だ。自殺なのか他殺なのかさえはっきりせず、怪死といわれてマスメディアのセンセーションとなり、当時は共産党の仕業、とされた。しかしその後のさまざまな人間による地道な検証は、GHQの関与を示唆している。おそらく警視庁もGHQが裏にあることを知っていたのだが、相手が占領軍ということでだんまりを決め込むしかなかったのだ(ISBN:4104662011ISBN:4797492848)。時代は下って、1968年に府中刑務所の横で起きた三億円事件にしても、犯人達は米軍基地に関係のある人間で、煙のように消えたといわれていた犯人達はまず府中基地*1に逃げ込んだ、とおよそ30年後に検証した一橋文哉は結論している(ISBN:4101426228)。あるいは怪事件でなくとも、基地というブラックホールは、ホワイティングの「東京アンダーワールドISBN:404247103X)」にも登場する。村上龍の「限りなく透明に近いブルー」もまた、そのブラックホールがなければ成立しなかった小説だ。

そんなことを思っていると、テロリズムの根源は基地の中と基地の外、という空間の差に実に見事に表象されているのではないか、と私には思えてきてしまう。基地がフェンスを作った瞬間、暴力を黙認するポテンシャルの差が日常の中に生じるのだ。

在外米軍6〜7万人削減

*1:当時。現在は自衛隊のレーダー基地になっている、と思うが私が高校のころはそうだった。逃げ込んだのは調布基地のほうだったかも。調布基地は今や味の素のサッカースタジアムになっている。その昔まだ二重のフェンスに囲まれた野原だったころ、中に入ったらヘリコプターで追いかけられたことがある。米軍はもういなかったのだけど。