消費と平準化
http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20040723
消費
消費が悪いとは私も思わない。消費せずして生命営めず。消費そのものに良い・悪いはそもそもない。単なる速度の違いである。
平準化
なおかつ平準化そのものは別にかまわん。便利でよろしい。あるいは平準化の快楽ってもの理解できる。でもこれが「生きるために何が必要かぐらい自分で決めさせてくれ、と思うんだけど人に決めてもらった方が良いのかしらん。」の言葉どうり、自分で選択していると思いつつ選択肢が狭まっていることの快楽、としてもよいだろう。これは不自由の快楽であり、怠惰の安寧である。ダラダラするのが好きな私は、「なんでもいいよー」と言いがちだ。人に決めてもらうことの快楽。
問題は平準化に伴うフェーズだ。平準化をよしとしない人間を排除ないしは毛嫌いする傾向。たとえばこのあいだのイラク人質に対する底なしの反感っていうのがそれだ。あるいは、先日ここでもリンクした、「大体、刑事訴訟法なんか持ち出すのは普通の人じゃない」みたいな発想。
平準化は物事を単純にするが、同時に複雑にもする。平準化によって常識としてコード化されるもろもろ。結果として平準化は暗黙の了解を伴うことになる。コンビニで自動的に一番奥に足を向けたときに、そこに冷たい飲み物がならんでいないと、裏切られた気分になるのだ。この態度が当然となった瞬間から、排除は始まる。怠惰に遊ぶなら徹底せよ。裏切りは、「なんでもいいよー」と言った私の責任なのだ。