回転ドアひとつで家が買える
id:i-miyaさん経由。

作る人、流通させる人、消費する人、という簡単なカテゴリーと考える。流通させる人が一番金持ち、というのはわからなくもない。流通には情報が必要だからだ。作る人は情報の流れにうとい。だから作ることができる。作ることに優れている人ほど、情報にうとい。イメージでいえば、作る人、はこもる人、である。流通する人はこの欠落を補完してきた。流通の人は交通の人である。

とはいえ、ネットはこの旧来の構造を破壊しつつある。流通させる人がネットと対立するのは、だからあたりまえなのである。Winny製作者に対する介入も同じことだ。極端なことを言えば、議会制なんていう情報の流通機構さえいらなくなる。だから政治家は本能的にネットをきらう。でもいずれ、実際の物流業をのぞけば、流通させる人は不要になるだろう。中間搾取で目下飯を食っている人にはまことにすまないが、同世代銀行員の年収1/4で情報を作って日々生きている私にとってはありがたいことだ。私は消費する人でもあるのだから。

追記 id:svnseedsの応答に対して

あー、なんか怒らせたみたいだな。流通は物流以外なくなってもいいんじゃない、というのが私のいいたいことなんで、この点に絞ってほしいな、と思います。経済の教科書はそうなっていないのかもしれないけれど。

もう少し別の観点からいうと、はてな人力検索ってあるんですが、あれは別にいいわけなのです。お金払うから情報にフィルターかけてください、という行為。これが進んだら、例えば不動産屋はいらなくなる。あるいはミュージシャンにしたってどうか。これまでは大手レーベルを介してしか、営業のネットワークがありえなかったから、そうしたレーベルに首つかまされていたわけで、今ミュージシャンは本当にそんな大手レーベルが必要か、といったら、そんなことはない。マイケルジャクソンになりたいっていうんでないなら、優秀なマネージャーが一人いればいまや可能なわけ。いわば人力検索で間に合う。
研究業界も同様で、かつて主要メディアと機能していた学会とかジャーナルってのも長期的には解体されるべき存在。はてなダイアリー形式で論文書いて、コメントがインターアクティブにあったほうが、よっぽどまともなピアレビューだわな(これは目下id:hizzzさんと討議中?のid:thiさんの意見としてみかけた)。同様にかつては重要なメディアであった大学も、本当に必要か?ということになる。。。とまあ、こんな感じ。まとめると、情報の流れ方がかわっていらない職業がどんどん出てきているのに、なんでそのいらないものが後生大事に保存されて、地道にもの作りしている人間がそれを養わなければいけないのか、ということだ。遊ばせてください、っていうならいいよ。だけど困ったことに足枷にしかなっていないのだ。願わくば人力検索のように、個人の側から、こんな情報が欲しい、というベクトルがあってほしい。これが情報だ、って押し付けられるんじゃなくてね。で、私はそうなる、と思っているのです。

以上、動物状態なので丁寧な説明はできていないけれど、ゆるゆる説明できたらよいと思います。