ナポリ

マフィア:
銃撃戦で「盾」 巻き添えの少女死亡 ナポリ

どうしょもなく好きな南イタリア

ナポリまで車で行ったことがある。スイスの国境を越えた途端にF1状態で周りが暴走し始めるのには驚いたが、南に下れば下るほど、交通法規などなにもないに等しい状態になる。ローマ市内は車線が無きがごとく入り乱れ、辻々にクラッシュして放置された車がいやがうえでも目に入る。ローマを過ぎれば信号無視が常態となり、いつしか自分も注意するのは他の車であって信号ではなくなる。交通事情のカオスはナポリ突入でピークを迎える。ナポリの交通法規はただひとつ。自分が行きたい方向に向かって運転すること。

ナポリの交差点はほとんど傑作である。信号とは無関係にスタックする。縦横無尽に車が入れ子になり、にっちもさっちもいかなくなる、だけではなく、その間隙に原付ピアッジョが我先に入り込む。それもこう着状態に陥ると、ここぞとばかりに歩行者があらゆる方向から出現し、すばやく通り抜けていく。はたしてこのむちゃくちゃな渋滞はいつ溶解するのだろう、とひっきりなしに耳をつんざく四方八方からのクラクションに不安になっていると、なんとなくピアッジョがゆるゆると方向をかえ、そろそろと動き始める。車ももぞもぞと進退転回を少しずつ繰り返し始め、周囲の運転手は目配せしあい、気を計ってある瞬間に全てがなにごともなかったのかのように見事に動き始める。芸術だ、と私はつぶやきながら、アクセルを踏む。要はぶつからなければいいのだ。信号も車線も関係ない。

泊まるところを決めていなかったので、安宿のありそうなナポリ駅から延びる繁華街に宿を探し、露天の喧騒の中、車をホテルと小さな看板のある建物の前に停め、狭い階段を上がって一晩いいですか、駅のツーリスモで紹介されたんですが、と伺いをたてる。いいですよ、というそのカウンターの長髪の色男に、車があるんだけどどうしたらいいか、と問う。男は、ああ、それなら一緒にこい、と階段を降り、再びアフリカ系の売り子が暑そうに座り込んでいる露天の間を抜けて、ピアッジョにまたがる。こともなげに後ろに乗れ、と手で合図する。

ホテルのある通りを、ピアッジョの後ろに乗せられて走り抜ける。車のスタックはそこでも発生しているが、錯綜する可能な間隙を見事なハンドル捌きと小気味よいクラクションで走り抜け、ところどころでバイクを急停止させる。露天の主とおもむろに雑談を始める。「このジャポネーゼうちの客だから」と紹介するまでもなく説明し、と何度か繰り返すうちに通りの一番奥にたどり着き、そこが有料駐車場。ホテルの男は、手持ち無沙汰に雑談している管理人の親父たちに、「このジャポネーゼ、うちの客だから」とまた説明している。ここに車を持ってきてくれ、と改めて私に向き直って告げ、再びピアッジョに乗せられて私はホテルに戻る。要はこの場所では一見はありえないのだ、と私はようやく理解する。ナポリのその通りは、ヨーロッパ、というよりもバンコクに似ていた。活気と猥雑と鋭いまなざしの男たち。生命力そのもののような女たち。極上のピザとエスプレッソ。