マフィアと学生運動

先日シチリア出身の友人に薦められた映画ペッピーノの百歩のDVDを本人が持ってきてくれたので眺めた。実話を映画にした内容である。マフィアの祖父・父を持つペッピーノが左翼運動に走る、というあらすじだけをあらかじめ聞いていて宮崎学みたいだなあ、なんておもっていた。宮崎学の自伝「突破者」とかを読むと、京都の昔かたぎのやくざを親をもつ宮崎学が、中学生の頃に共産主義者として目覚めていく様子が詳しく描かれている。記述に従えばその昔のやくざはまさに共産主義的なネットワークであった、と読めなくもない説明である*1。さらにつけくわえれば「突破者」を現代史として読めば60年-70年の学生左翼運動がやくざ的な存在への憧れにリンクしていたことの理由がなんとなく体感できたりしてしまう。自己解体・批判というベクトルが旧来の東映やくざ的美学にどこかパラレルなのだろう。
一方で映画の方はむろんのことだがこうした和風情緒とは関係がなく、主人公のペッピーノは自らの血であるマフィアをインディーズのラジオ局を開設して徹底批判し、結局78年に殺されてしまう。これをきっかけに反マフィアの運動に火がつき、映画は幕となる。数年前にシチリアを車で一周した折に、シラクサの飲み屋で知り合いになった店主のオヤジが、グラッパをなめながらマフィアの影響力が低下してもう10年以上たつってなことをボソボソと言っていたのだが、たしかにパレルモなぞ実に安全な街だった。20年年前は毎晩街のどこかでサブマシンガンで撃ち合いをしていたというのだから、まあ、すごい変化である。
シチリアのマフィア解体に学生の左翼運動が果たした役割は大きかったのだなあ、というのが感想なのだが、これが意外に私には新鮮で、というのも最初に書いたようなわけで60年-70年の学生左翼運動とやくざはどこか似たような意識、という見方が自分にあるためだと思う(実際に詳しいことを考えれば、たとえば岸信介強行採決のボディーガードとして国会内にやくざを動員したりしているので対立もおおいにあるのであるが)。マフィアの歴史を学ぶというよりもそうした意識のギャップの発見が日本の左翼の特徴を浮き彫りにするようで面白かった。

*1:そういえばこの本は人に貸したのだが返ってきていない