本日のお仕事・Misc

  • 中古車診断・交渉のコンサルタントをしているフィンランド人の友達と、ウェブで彼がみつけた中古車を南に100キロ下った街まで見に行く予定だったのだが交通が混乱しているとのことでとりやめた。かわりにうちで午前中の間彼がもってきた中古車情報のプリントアウトをいろいろ眺めた。ドイツでは秋から排気ガスのレギュレーションが厳しくなり、古いタイプの車は都市に乗り入れることができなくなるので年式と触媒のレベルに注意が必要である。この友人のコンサルビジネスはもっぱらフィンランド人を相手にしている。同じ車がフィンランドでは数倍の値段するというから、飛行機でわざわざ買いに来るメリットがあるのだそうだ。
  • 教科書の執筆続き。苦行。
  • 私のセクション(っつってもボスも部下もいないセクション)のウェブサイト改訂に関して広報部のひととお話。
  • 3月の所内セミナー、発表者の見当つけて打診。
  • モルフォジェンのウォルパートが今日明日とセミナー。今日のはぶっちしたんで明日出席しよう。
  • 3年前にハーバードにポスドクで行ったオーストリア人の友人が、ジョブインタビューで戻ってきたので雑談。PIになれるかどうか。競争相手は3人だとか。最近のクラブ事情など。ボストンでのスタンリー・クラークによるジャズ教室の話とかもしていた。実に優秀な構造生物学者の人なのだが多才でVJとしてもプロ並み。5年ほどまえ(だと思うが)モントルー・ジャズフェスティバルでDJクラッシュのVJを担当している。

昨日のコメント欄にお返事。

おれかね先生
イメージが外交のみならずさまざまな面で影響をしているというのは、もっと流布されてしかるべき、と思います。もちろんイメージで判断する多数の人間がいる一方で、数字で判断する戦略家がいるから、そうしたイメージ(ステロタイプ)との均衡がとれるのだろうけれど、メリットデメリットを判断するときには、イメージを虚妄、となげすててはダメだと思います。市井の人間のイメージが政治・外交に影響を与えることは明白なのですから、それもまた重要なファクターとして考慮するひつようがある。
ちなみに”自衛隊を救助隊に変更すれば九条は今のままでもいいのでは”について再びコメントしますが、「自然災害立国」ということで、似たようなことを以前書いたので、リンクしておきます。

  • 自然災害立国の推奨 id:kmiura:20041228#p2
  • 災害立国 つづき (”国際協力隊”について) id:kmiura:20050113#p1

国境なき医師団+土木を、国レベルでやる、ということです。それで思いついたのですが、キリスト教圏の赤十字イスラム圏の赤新月にならんで、日の丸も白地に赤丸で似たような感じですね。Red Cross, Red Crescent に並んでRed Disk”赤丸”。「おお、赤丸が助けにきてくれた!」というような感じで。これ、かなり妄想入ってますが。で、50年後をめどに赤十字と同じように赤丸は攻撃されない、という国際世論のコンセンサスを醸成していく。

hizzzさん

戦争放棄」経済効果は、朝鮮〜ベトナム特需で敗戦国としてはどこよりもいち早く戦後復興を遂げ、対米追随と戦後賠償代わりのバラマキODA外交のセットで礎を築いたということで明確でしょう。

そうした目に見える経済効果はたしかにそうなんだけど、見えにくい部分もあるのだと思います。たとえば、日本の企業が中東に進出しやすかったのは、日本人に対するポジティブなイメージがあったからだと思います。こうしたことの経済効果はいかに、ということです。またこのポジティブさの中に、金をばらまいてくれる、かつて欧米に対峙して戦った、ということも、よくいわれるように含まれているのは確かです。付け加えれば、現状で経済大国であること、よく働く勤勉な人達、とかもあるし、エレクトリックガジェットをつぎからつぎへと作り出す、あるいは、アニメやずいぶん前になりますが「おしん」がアジア・中近東でやたらと流行った、といったことからのポジティブさもある。一方で私は9条をターゲットに改憲するだろう、という目下の状況にフォーカスして上の文章を書きました。
また、日本は戦争をしない、と主張することの是非についてですが、戦争をしない、というのは過去の戦争犯罪を考慮してのものです。美しいかどうか、ではなくて国家の対外行為に自己規定を設けていると主張するのはよいことではないでしょうか。

なんであれ、制度としての国が美学やアイデンティティを制定するのは、国家主義を助長する窮屈なものでしかないと思うのです。

国が設定・強制するアイデンティティには私も批判的です。それはまさに国家主義のコアになる。これを「内からの強制」とすれば、他国の人間が日本人に対して持っている、いわば押し付けられるアイデンティティもある。いわば「外からの期待」。ステロタイプ、ということになるんだけど、この外側からの部分が今回記事を書いてみて、みなさんすごく気にして知りたがっているんだなあ、というのが改めてよくわかった。たとえば、応答していただいたinumashさんの『「我々は孤独だ」という想像的貧困が生む暴力(id:inumash:20070124:p1)』とかそれに応答したkmizusawaさんの『マイノリティな日本と私 (id:kmizusawa:20070125:p1)』とか。
国家を認めるかどうかということとは別に、国家のアイデンティティは、憲法、ということでいいと私は思っています。constitutionという言葉は、憲法と訳されますが、他にも「体質」という意味、もっとぶっちゃければ「作られ方」というような意味があります。だから、憲法の前文や9条を、他の国とは違うということでアイデンティティにする可能性が十分ある。また、それは強制ではない。憲法を認めないという自由もむろんある。ただ、その場合は議論する必要はなくなります。
昔「天職とはなにか」ということで、いろいろな人の文章を読んだことがあるのですが、そのときに「自己イメージを自分で持ち続けることができる人」と「自己イメージを他者に示してもらわなとダメな人」という大きな分類がありました。前者であれば、自己イメージに不安になることなく孤独な仕事を続けることができる。一方で、後者はそうした仕事につくと大変不幸です。自己イメージをもつことができなくて困惑する。外から説明するひつようがあるのです。あなたはこんな感じなんです、とききたい。誰かにいってもらいたい。たとえば自己イメージを与えてくれる占いにはまる人とかはまさにこれなのでしょう。教育すればすべての人間が自己イメージを自分に与えることができる人間になるのかどうか、私にはわかりません。そして今の日本ではその欲求がすごくたかまっているようにみえる。これをこのまま国家レベルの自己イメージにスケールアップすると、「美しい日本」にポジティブに応答する、ということの一面なのかな、と私は思うのです。"不安をわが国とせよ(ファティマ・メッシーニ)"としばらく前の私ならば放置するのですが、今の惨憺たる状況ではそのことをもうすこし説明する必要があると思う。
世界の中の日本ってなんなのか、ということの説明が必要な人がいる。わからないから不安である、そしてそのことが殻をつくり、「テロとの戦争」な武装化を助長しているならば、あるいは空疎な「美しい日本」にごまかされてしまうのであれば、逆に外からの実際的なイメージをなるべく詳しく説明することは有効だと思います。