近況

  • 7月に日本にいって帰ってきてから、無珍先生はたいへんごきげん斜めで「パパ日本にいった」となんどもいうので、ちょっとめいった。
  • 8月の初めに3人でしばしミュンヘンに。春からバーゼルからミュンヘンにうつって仕事をしている大学院の研究室の先輩の家に宿泊。以前みたいに夜中まで酒飲みながらしゃべって楽しかった。無珍先生が産まれてから二ヶ月、仕事をほっぽりだしてうちにとまりこみ、世話をしてくれていた人だからかなんなのか、なつき方が他の人と違う。
  • ミュンヘンでは友人の結婚披露宴。じつになごやかでいい宴だった。しばらくあっていなかった知人一同にまとめて会えたのもよかった。まー、なんかみんな歳とったなあ。私もそうだけど。
  • 無珍先生、ミュンヘンで本格的にプールデビュー。水に入っているときの必死な形相はまれにみるような必死さであったが、とても楽しかったらしい。着替えてプールの門からでるなり、大きな声で「じゃぶした!」と宣言。そのあとなんどもうれしそうに叫んでいた。じゃぶ、とはじゃぶじゃぶのことで、水遊びを意味している。
  • 「あなたごはんたべる?」と突然はっきりといいはじめたので、腰を抜かしそうになった。うちには「あなたごはんたべる?」とかいう人間はいない。保育園にいる日本人の男の子から習ったらしく、あの家ではそんないいかたなのか、と思ったりした。このところなんども繰り返して飯を食べながらでかいこえで唱える。さらにはこの数週間で時制が把握できたのか「あなたごはんたべてる?」「あなたごはんたべた?」等々。もはやベタなネタであるが、そのたびに笑わずにはいられない。
  • 夏休みの間人がまばらなので、いろいろ普段は時間がなくてできない最近の解析手法のお勉強に没頭。遠来の客はあいかわらずぽつぽつと現れる。
  • 頼まれたので保育園の保護者代表委員になった。
  • 被爆で健康が損なわれたり、障害をもって産まれてくることを忌避することは、病人や先天性の障害をもっている人を差別することと同等だ、というような考え方について。これは丁寧にかつ真っ向から現代社会が考えるべき問題なんだよな。たとえば、「今の被爆レベルであるならば、女性が奇形児を産むようなことにはならない」という一見ポジティブともいえるニュースの背後に、先天性の奇形児がよくないことである=目下奇形として生まれた人に対するネガティブな見方=障害者差別、というような構造を問題にする話。ここで走り書きするような話でもないかもしれないが、少々意見。私は健常者であれ病人であれ障害者であれ、そうした問題をひっくるめてひとりひとりの人間をそうした存在として全面的に認め尊重すべきだと思っている。それは問題がないかのごとくふるまうことではない。問題は問題である。したがって避けたいことである。被爆でそうしたリスクが増えるのは当然忌避する。しかしそうした問題を持ってしまった人間に対してはそうした存在としてあるがままに認め最大限尊重する。極端な話だが、植物人間ギリギリのところでなんとか二ヶ月持ちこたえていた無珍先生の母親は、究極の障害者であった。いわば生産性ゼロ、リソースを食うだけの存在である。しかしそれでも彼女は生きていた。その存在を私はそうした人間になったとして最大限尊重しようとしたし、することができる自分にある日きがついた。しかし、それは彼女がそうなることを私が望んだ、とかありがたく思ったという意味ではない。もし事前に回避することができたならば、最大限の努力をしただろう。私は引き続き最小意識状態にある人間の存在を、あるいはあらゆる問題をもつ人間それぞれを一人の人間存在として目的とする。できることを知っている。

放射性物質をばらまいて平然としている事業者にとっては私のような人間はありがたいかもしれない。そう思われると困るので、ありがたいと思われないように人一倍そうした事業者の問題を批判していきたいと思う。

  • 中上健次の「重力の都」で自分の目つぶせ、といって男に目を針で刺してもらう女のことを思い出した。ちなみに名作である。
  • 実はすでに9月であるが、日付を8月31日にして近況報告。