デリダの差異遅延(Defarence)の理論は多くのポスト・コロニアリストたちのよって引用され、西洋優越主義的なユニバーサリズム脱構築、そして相対化に援用されてきました。しかしデリダ自身と彼の哲学は、その脱構築の結果として現れたポストモダン的な相対主義(relativism)に決して組みするものでは無かったようです。彼の晩年のエッセイに当たるこのコスモポリタニスムに関するエッセイにおいて、彼はユニバーサルな人間理解の可能性を考察しています。
ユニバーサルな共通理解、たとえば歴史的理解、を構築しようとする努力にに対する相対主義者たちからのよくある批判として、’現在の価値基準で当時の事実を断罪する’というのがあります。つまり、今と昔では事情が違い価値観も違うのだから、今の我々の価値基準では過去の人々の行動についてとやかく言うことは出来ない、というものです。たとえば、かつては帝国主義植民地主義は列強国間において規範であったのだから、そのことによって、日本のアジアにおける侵略行為を非難することは出来ない、とするものです。しかしこれは明らかな、はてな、詭弁です。

2004-10-20 On Cosmopolitanism and Forgiveness
@土着コスモポリタン宣言 - Rooted Cosmopolitanism