自律的移動の保護

生きる場所を自由に選択できるようにするためには国家に依存しない社会保障システムを考えないとダメだと思う。今あるその手のシステム(国家と関係のない医療保険、年金システム)は全部金持ち向け。法制の問題ではないのだよな。

 事務所に戻ると、深夜に、ある19歳のコロンビア人の女の子(もと女子高生、母は送還済みで、彼女は逃亡中)からメールが来ました。そこには“nos vearamos porque quiero que usted me ayude....ya me canse de estar de ilegal en este pais...quiero vivir tranquila y ser legal como toda persona...(助けてほしい。もうこの国でイリーガルで生きるのに疲れたから。他の人みたいに静かに生きたいの)”と書かれていました。
 「マルチチュードにふさわしい場所を決定するもの、それはまさに自律的移動である。」というのは、その人がお金持ちだからではないでしょうか。「パスポートや法的文書では、国境を横断する現代の移動はますます規制できなくなっている。」ようにみえるのは、その人が先進国の旅券を持っているからではないでしょうか。
 この事件の特異な経過から、現実の世界にはノマドエクソダスもないことを知った人々には、そんな声にならない声こそ、すくいあげて欲しいと思います。

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 移動の自由を守ることだけが、移動の自由を実質的に実現することだけが、まさにそれだけが大切である。それだけが正義である。正義とはそのことだけである。それだけが革命である。革命とはそれだけのためのものである。施設への大監禁(フーコー)が間違えているのは、人間から移動の自由を奪うからである。国家が悪しきものであるのは、戦争が許し難いのは、人間から移動の自由を奪うからである。
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 移動に悲惨や不幸は付き物である。現状では不可避である。だからといって、移動の自由を阻害してはならない。移動の自由には、悲惨や不幸を補って余りある可能性が宿っている。革命家から学ぶべきは、移動の自由の行使である。フィンランドの寒地からロシアへ、フランスから山脈を越えてスペインへ、日本から漁船で中国へ、シベリアを横切ってヨーロッパへ移動した革命家たち。ところが、現在、自由に移動している者は誰か。統治者、外交官、軍人、私兵、企業人、インテリ、専門家、そんな連中だけである。民衆が同等の自由を獲得するなら、民衆自身の力で世界はまともになる。大事なのは、交渉・交流・交際・交通よりも、移動・渡世・渡り・流れである。あなたが遠くに支援に出かけていけるのに、どうして遠くの民衆はこちらに来ることができないのかと問うべきなのだ。

移動の自由
http://d.hatena.ne.jp/desdel/20080324