Obama Speech: 'A More Perfect Union'

2008年3月18日、フィラデルフィア憲法センターで行われたバラク・オバマの37分の演説。人種差別の歴史を持つことをアイデンティティとして読み替えよう、という実に感動的な内容。もったいないのは、選挙戦なのでこれがアメリカに限られるということなのだけれど、歴史の中にそうした人権侵害をめぐる問題があったということを無視するのではなく、見つめなしてさらにそれこそが我々という歴史的存在の現実であり、意義であり乗り越えるのだ、という力強い宣言は、世界のどの文化に対しても訴求力のある内容だ。

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[追記] 冷泉彰彦さんの評

トラブルとして面倒なことになっていたのはオバマの方です。オバマがシカゴ郊外で地盤を固めて行く中で世話になったジェレミー・ライトという有名な黒人教会の牧師について、その「過激反米発言」が徐々に明るみに出される中で、「オバマはこんな人間と同類なのか」とういうような非難が日増しに強まっていたからです。このライト牧師は、一万人以上の信者を集める黒人メガチャーチの元指導者で、典型的な反人種差別のリベラルという枠組みから外れる人ではないのですが、ここへ来て「ユーチューブ」などでその「過激発言」がグルグル回覧される中、ABCテレビが執拗に取り上げたり、保守派のFMトークショーで問題視されたりしていたのです。

 このライト牧師の言動ですが、確かに過激な内容が含まれているのは事実です。例えば、黒人解放のためには暴力も辞さないという姿勢を取った伝説の指導者マルコムXの流れを組むルイス・ファルカン師と一緒に、リビアレバノンを訪問したとか、セプテンバー・イレブンスのテロに際して「アメリカが世界へ向けて行ってきた暴力の報いだ」と述べるなど、なかなか筋金が入った感じです。勿論、60年代から70年代の激しい時代の記憶のある人には、それほど驚くことはないと思うのですが、右派だけでなく、こうした言動にふだん接することのない最近の若い世代からは「アメリカ人のくせに反米的」だとか「黒人の憎悪を強調しすぎて白人との分断を招くだけ」という反応が出ていたのです。<…>

 今回のオバマに突きつけられた中傷は、一見すると「オバマが左寄りすぎる」とか「黒人の代表であって、白人への敵意を持っているのでは?」という白人保守派からの「懸念」にように見えます。勿論そうした側面もあります。ですが、オバマの選挙戦略の全体から見れば「オバマという『新しさ』の中に『古さ』が見えてしまう」という意味で明らかな危機だったというわけです。その意味で、18日の火曜日にフィラデルフィアで行ったオバマの「人種問題に関するスピーチ」は、ダメージコントロールとして完璧な対応だったと言えます。
 内容的には、自伝などで言っていたことの延長でしたが、自分で推敲を重ねたというだけあって、演説として見事なものでした。「ライト師は自分にとっては家族同様の存在だった」とハッキリ認めながら、「しかし彼の意見には賛同できない。特に人種の分断を招く内容には私は反対だ」とバッサリ切り捨てるところは切り捨て、その上で「だが彼の生きていた時代は、人種隔離というのが現実だった時代だった。その意味で、彼の言動は60年代の反映だとして理解するのが正当だ」ということで、突き放しつつ擁護もしています。
 この演説は全米でかなり注目されていましたから、TVのニュースではさんざん取り上げられたのですが、短く引用する場合にはこうした「ライト発言への対策コメント」よりも、オバマの十八番の部分、つまり「ケニア人の父を持ち、白人のシングルマザーによって育てられた自分にこうしたチャンスを与えてくれる国は、アメリカだけだ」であるとか、「(妻の)ミシェルは奴隷の子孫でもあり、同時に奴隷の所有者の子孫でもある(実際にチェイニー副大統領の遠縁に当たるのだそうです)」という部分が何度も何度も放映され、改めてオバマの弁舌の説得力をアピールした格好になっています。事前の解説では、ライト牧師を庇ってもダメ、突き放ちすぎても変節漢ということになるとして、オバマ最大の危機か、などという言われ方もしていたのですが、結果的には予想以上の名演説になったというのが、おおかたの見方です。
『from 911/USAレポート』第348回 「左右の対立、新旧の対立
冷泉彰彦
2008年3月22日発行