ちょっと気になった話1

ヴェブレンは教育の意義を主に「大学の存在」に置いた。そして大学における活動を「エソテリック(esoteric)な知識の探求」と規定した。「エソテリックな知識」というのは聞き慣れないことばだが、宇沢の説明によれば、「真理としての知識」ということらしい。つまり、物質的・現実的価値を持つ必要はなく、言い換えるなら、実利的である必要のない「本来的な知識」のことである。人間には基本的にこのような知識への欲求がある、とヴェブレンは考える。その上で、「自由な知識欲(Idle Curiosity)」と「職人気質(Instinct of Workmanship)」という二つの人間の特質に注目する。これらは、人が知識を得たりモノを生産したりする際に、世俗的な有用性ではなく、本能的に「知識そのもの」を求める性向であり、「誇り高い完成度」を求める性向である、と理解できる。このような性向は、見るからに、利潤追求の資本主義の論理とは鋭く対立する。だからこそ、このような人間本来の崇高な特性を実現する場としての「大学」という機関が、市場制度や利潤動機から独立でいることを、ヴェブレンは最重要視するのである。
学校は何のための装置か〜教育をめぐる経済学小島寛之の環境の経済と幸福の関係

『自由な知識欲』の方はよく耳にする話だけど(上の項でもどちらかというとこちらに注目している)、同時に『職人気質』を挙げているところに、おー、と思った。日本人なんかまさに職人気質の塊な人が多い。実験とかもそこまでやる必要ないのに職人ぽく極める。知り合いの日本人研究者で、ウェスタン流させたらその美しさ超一流ということでヨーロッパ中に名をとどろかせた人がいる(業績もすごかったけどこっちの方が有名)。私もかつて日本の大学院の先輩に「これがプロや」とかいいながらやたらと精密な技術を叩き込まれたものである。でも、そうした職人気質をいいことに労働搾取されちゃうところがどこか世の中のキビシサ。楽すりゃいいのか、という話でもあるのだが、グローバルマーケットとかいって世界中から職人気質がなくなりつつあるんだから(なにしろ大学だってそうだ)、生き残り方としては職人気質で、というプレミアを見込んだ選択もなきにしもあらずと私は思う。