専門家の役割

専門家の仕事内容に関して見かけた記事。

治療の副作用・合併症に関する医学論文が昨年6月から10月の間に激減した(医学論文の割合で15パーセントから3パーセント程度に*1)理由について

現場レベルで言うなら医療事故調査委員会発足が問題なのではなく、プライバシー保護で院内の倫理委員会がうるさくなったため。
臨床現場に出ていない人が適当にまとめるとこんな結論になる。
症例報告のたびに患者さんに説明して同意をとって報告するだけの外来時間がないし書類申請が面倒。
あと国内誌の症例報告も箔付けにもならないし。
ただでさえ介護保険認定書類などどんどん書類ものが増えていき診察後の残業が続くのに残業代も出ずモチベーションもあがらない。
残業も診療ならまだ患者さんのためと割り切れるが、書類の山を裁可するためにこの仕事を始めたわけじゃない。
本質がわかっていない@ AnonymousDiary

この例は本来専門家の存在をサポートするべきアドミニストレーションが逆に専門家にストレスをかけてさらにはその活動を抑圧したという実にアホな話である。理由はもちろん、アドミニストレーションがその本来の存在意義とは無関係になっていることを意味している。

医者や弁護士といったそもそも社会的な委託・信頼が前提になっている仕事は、”自己責任”が強調されるようになるとどんどん効率が悪くなる。仕事に携わる側の人間としては面倒でやってらんねえ、ということになる。学校の教師に押し付けられる過大な責任や雑事も似たような現象ではないか。

社会を成立させる専門家への委任システムがゆらいでいる=大まかには代議制(representation)の崩壊。上の例で言えば、そもそも医師免許は、信頼を委託するシステムであるはずなのに、それが意味をなくしている、ということかもしれない。

下は専門家ではなくとも為せる仕事の負荷ために、その能力が効率的に発揮されていないという話。なんとなく上に共通している部分があるなあと思ったので一緒にクリップ。

売春業の人達の生活をサポートする団体の話

しかしこの団体、あまりに効率が悪い。例えばこの弁護士はこういう弁護士ならではの仕事をするだけではなく、交通手段を持たない女性を送り迎えしたり、コーヒーを作ったり、クライアントと世間話をしたりと、その活動のほとんどを一人でやっている。弁護士という特殊な能力・資格のある人の時間は、ほかの使い方をすればもっと大勢の人のために使えるだけに、残念な気がする。しかし、彼女の他にフルタイムで関われるスタッフを持たず、ボランティアもうまく使えない状態では、団体の全てを把握している彼女が何もかもやらなければいけない。それに、もし運転は運転係、食事の準備は食事係、という具合に役割分担ができてしまったら、この団体の良さである包括的に何でも面倒を見てくれるという部分が失われてしまうだろう。
反売買春系フェミニスト団体観察記録、パート2@macska dot org

*1:なお、この調査をした東大医科研の探索医療ヒューマンネットワークシステム部門は、なかなかおもしろい活動をしている。