戦後政治における左翼の役割と限界 (山口二郎)

・・・を読んでメーデーに左派についてなんとなく考える(もとの文章はこちら、I11さんの狂童日記エントリー「左翼が支持されない理由」に対するブックマークコメント経由。以下いろいろ抜粋)。

ここでは、ノルベルト・ボッビオの定義にしたがって、政治権力を使って平等を実現することに積極的な政党・政治集団を左翼と呼び、これに反対するものを右翼と呼ぶことにする(Bobbio, 1996)。もちろん、左翼(右翼)の構成要素には、他にもいくつかの重要なものがある。しかし、現在の政党政治における対立構図を考える上では、あとで述べるように、このボッビオの定義が最も有意義であると考えられる。

太字は引用者。私の定義も同様。以下は戦後の左翼批判。

理論としてのマルクス主義政治勢力としての共産党マルクス・レーニン主義者がきわめて長い間大きな存在
・・・
その原因としては・・・
獄中で被転向を貫いたという経験は、共産主義者にとって1つの勲章となった(石川真澄、2004)。この点は、社会主義者共産党に対して劣等感を抱く一因
・・・
日本における左派のインテリが持っていた理論信仰(丸山真男、1961)という原因

左翼=インテリ、右翼=政治家っていう構図がなんかできてしまったのだよな。この構図が「人をバカにする左翼」という気分を作り上げている。

民主政治には、権力への参加と権力に対する抵抗という2つの側面がある。多くの国で左翼政党はこの両者のバランスに悩んできた。20世紀の中頃から、左翼政党は議会政治や市場経済など、政治経済の基本的制度を共有し、政権交代をともなう政党システムの中で、両者のバランスを取るようになった。
これに対して、日本の左翼においては、権力に対する抵抗の側面が重視されてきた。即ち、多数派を結集して権力を取り、政策を実現するというよりも、権力と戦うことが政治の主たる内容とされた。

政治家になることは権力者になることである。したがってそれは醜い、汚い、という印象がある。これは別に日本に限った話ではないけれど、「政党」ならば権力を批判ならず忌避する時点で意味がないという自家中毒。たとえば先日の外山さんのアジェンダにもそうしたねじれた内容だったe.g.立候補演説で、当選したら「わたしもびびる」。

 日本型社会経済政策は、1980年代に一応目標を達成し、「総中流社会」が形成された。しかし、90年代に入ると、経済のグローバル化の圧力のもとで、様々なきしみや綻びを露呈するようになる。規制緩和の趨勢の前に護送船団を維持できなくなったこと、バブル崩壊以後の財政悪化によって地方への支出を維持できなくなったこと、公共事業や許認可を舞台にした構造的腐敗が露呈されたことなどがそれである。そして、90年代前半には、腐敗し、硬直化した「日本的」社会民主主義の政策に対し、市場原理によって解体する新自由主義の路線か、本来の社会民主主義純化する路線かが問われたのである。日本では新自由主義的な言説が強かったが、急速な高齢化によって社会保障に対する国民の不安や関心が高まっていた中では、社会民主主義的な政策が支持を得る可能性も存在したはずである。しかし、左派は国内経済政策に関しても、説得的な改革のビジョンを示すことはできなかった。改革は新自由主義のシンボルとなったのである。

”左派の失敗”。マニュアルがなくなって右往左往しているうちに「平等の政策的実現」という実に明快な目標が見えなくなっていた。
狂童日記がいうところの”「左翼」が批判対象とした「男性日本国民」そのものが脆弱化していったことで、「男性日本国民」から排除される女性や民族マイノリティが「社会的弱者」であるということのリアリティも、同時に乏しくなっていった”、という主張はこれすなわち「平等にしようとしていないまちがった左翼」と翻訳されることになる。

 21世紀前半の日本政治において、左派は不要であるとか、左派の居場所はないとは、私は考えない。また、自民党民主党による二大政党制の成立が、政策的差異のない保守二大政党制につながると他人事のように予想する議論にも与しない。現実政治を論評する政治学者で、保守二大政党制を良しとしない者は、そうさせないために今何をなすべきかを論じることが必要である。
左派が必要とされる最大の理由は、従来左派の甘えを許してきた保守の統治理性が消滅し、戦後政治という枠組みが崩壊していることである。戦後政治の崩壊には、さらに、?保守の劣化と憲法の危機、?アメリカ一極主義への追随、?新自由主義と不平等社会の出現という3つの要素がある。

完全な平等ってのはもとより無理なはなしだ。自然法則に従うならば正規分布。ピークが二つ、ないしはテイリングの長いような状態でもダメである。左派はガウス分布を目指すのだ。