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韓国の世間は既に日本への謝罪賠償請求に同意して一体化していますが、日本の世間は売春婦を性奴隷と捏造したことには同意できないと考える割合が日に日に増え、むしろ毀損された日本の名誉を回復しなければと考え出しています。女権伸長と同様に、名誉権感覚や法感覚も伸長しています。行為当時に不道徳ではあっても犯罪ではない行為を、現代の価値観から過去に遡及して犯罪として糾弾処罰することに違和感を覚える人たちが増えています。
野原さんの07年3月25日付コメント欄、中道右派さんのコメントから

上記私がボールドにした部分がかなりのポイントだと思う。違和感を覚えるか否か。違和感を覚えてそれを批判する立場もあれば、そうでない立場もある。たとえば

 また問題が当事国でなく米国で火が付いたことで思い出したのは、ゼミで聞いた国連人権小委員会委員の横田洋三さんの話だった。
 元慰安婦らが求める請求権は国家間の平和条約や2国間条約で放棄されているというのが古典的な国際法の考え方だが、個人の請求権については議論の余地がある。人権の普遍性は場所を超え、国を超え、時代を超えるから、第二次大戦中のことは解決済みというのでは説明がつかないというのが講義の趣旨だった。
 今回改めてうかがうと、米議会の背景には、非政府組織(NGO)の動きがあるとしたうえで「人権に関心のある人々がグローバルに活動する時代が来たことを示す出来事。国家を超えた市民の連帯に応える政策を作らないと、問題はいつまでも続くだろう」と横田さんは指摘した。
記者の目:慰安婦問題、日本のメッセージ=岸俊光から抜粋、ぱのらまさん経由

ことなる歴史問題であるが、奴隷貿易に関しても同じような動きが最近あった。
WCC、英首相に奴隷貿易に対する謝罪求める
3/15 ブレア首相、過去の奴隷貿易に対し、ついに「sorry」という言葉で謝罪を表明
”違和感を覚える”人はもちろんこうしたブレア首相の謝罪にも違和感を感じるのだろう。私は今の道義的判断から過去を反省し、バーチャルな当事者たる目下の国の責任者が謝罪するのは最もなことだと思う。なによりもいま社会がどうあるべきか、という点からこうしたメッセージは重要なのだ。過去のある時点で当事の法に照らして妥当であったかどうか、という議論はもちろん重要である。しかしながら法の解釈は機械操作のみで導出されるものではなく、時代的な状況に大きく左右されることも事実。同時に我々が現在とはことなるパラダイムで思考判断することは実に困難なのである。
別の角度から安倍首相の”狭義の強制はなかった”についてコメントすると、もはやこれはこの人およびそれにつらなる人々のビョーキの部分なのだが、タテマエ・ホンネの問題になる。翻訳すると”タテマエとして強制はなかった”。タテマエとは法律・文書などなどである。資料を参照にすれば、1930年代から1945年にかけて行政・軍部がともに組織的な慰安所設置への関与をどうにかして間接的にしようと工作していたのは明白である*1皇軍が女衒までするなどということは許されぬ、というのがタテマエなのである(cf”醜行婦"なるターム。)。したがってそもそも彼らはそのことを隠蔽しようと努力していた。ハードな意味での証拠が今出にくいのは当然のことなのである。特に半島の慰安婦徴募に関する記録が不自然なまでごっそり抜け落ちている、という点はもっと指摘されてもよいだろう(『「慰安婦」問題調査報告・1999』)。そしてなによりも目下の問題は70年前の国の隠ぺい工作に、時代を超えて現首相がつらなっている、という点だ。美しい国というきわめてタテマエ的な言葉を発するたびに自慰の満悦をその表情に湛える首相ならでは、である。

*1:この点に関しては『日本軍の慰安所政策について』(永井和)を参照せよ。「おわりに」の部分に少々強引な論の展開があるが、それまでの資料分析に関しては興味をもつ人間は通読すべし。というか、この手の資料って英訳されてんのかな。ついでにいうと、『「慰安婦」問題調査報告・1999』も私は全部読んだのだが、重要なのは中国北部、南部、台湾、インドネシアビルマと地域によって慰安所の運営が大きくことなっていること。それこそ民営のところもあれば、ほぼ軍隊の一部として最前線まで行動をともにしていた、みたいな状況もある。たとえば同じインドネシアでも陸軍第16軍と第25軍の軍政はことなっている。上記の調査報告1999の和田論文を読むとわかるが、ある時点から慰安所の管理や慰安婦の徴募は政府の手を離れて軍に委譲された。「強制はなかった」という意見に都合のよい部分だけつまみぐいしようとすればそれもまた可能なのである。なお報告書の中で、和田春樹さん(PDFリンク)と浅野豊美さんの『雲南ビルマ最前線における慰安婦たちー死者は語る』(PDFのリンク)は特におすすめの論文である。後者は最前線という究極の状況におかれた慰安婦の複雑な立場を資料や写真を駆使しながら文章で再現している。強制か自発か、という問題設定がそもそもアホくさくなる。