機械のアフォーダンス

うちの研究所に、男だらけのラボがひとつだけある。ハード系の物理から工学まで駆使する分野で、プログラマーも何人か在籍している。一人だけいる女の子はプログラマーでインド人。ほかは全部ドイツやフランスのむさくるしい男たち。日本の国立大学の理工学部とほぼ似たような状況である(アイドルのポスターとかはないけど)。たったひとりの女性の彼女の能力ついてはなーんにも私は知らない。でも、そのラボの男たちとはよく飲むのでときどき噂は聞くのだが「仕事しねー」「ダメな女」等々、とまあ、ひどい評価である。ラボでも孤立しているみたいで、はたからみていてかわいそうなぐらいなのだが、よく子供をつれている。どうどうとした姿に独身モテナイ君たちになにをいわれようが関係ないのだろうなあ、と私は思ったりする。別にラボだけが人生ではないのだ。それに、もし本当に仕事ができないのならば、うちの研究所の場合さっさとお払い箱である。なんらかの成果で認められているに違いない。
というような状況は実は理系ではよくみかける。仕事の仕方がちがう、というのは確かにあると思う。おとこまさりでバリバリやる女性もいるが、概して男よりも粘着ではない。さばさばと研究を進めていく。コダワルこととシステムの美しさに命をかける理系男からしたらなんとなく納得がいかない。「世間渡りがいいだけじゃん」ということになる。まあ、そんな感じなんじゃないかな、と私はみている。ってなことを以下のエントリーを読んで思い出した。
「根が理系」の女性が少ない理由
上のような価値観のすれちがいが「男と女」に回収される古典的な状況に加えて私が考えるのはもうひとつの点。理系のとくにメカニックな世界というのは人間関係や論理ということだけでなく、機械自体も男論理で作られているから、女性がなかなか長期滞在しにくい所以のひとつなのではないか、と私は思ったりする。たとえば、とある機械が故障する。すると男論理で作られているがゆえに男にとってはどこか親和性のあるシステムであるが、女論理では違和感のあるシステム、ということになる。そうすると、男にとっては故障を修復するのがどこか容易であるという記述されていないメリットがあることになる。かくして「女は機械が不得意」ということになる。男論理、女論理なんてものが器質的にあるのかどうか私には断言できないが、所与ではなく幻想であるとしてもそれがあるとしたら、幻想がいわばひとつの機械として実体化しアフォーダンスの差になっているのである。そうした部分まで考慮にいれて議論する必要があるかもしれない。・・・とかいていて、以前自動車の運転の話でそんなことを書いたのも思い出した*1。もちろんこれは「だから女、だから男」というその先に見えるラベリングの話ではないことを再び注釈しておく。

*1:id:kmiura:20050711#p1