単なるコピペになるが、そうなんだよなあ、と深く思うので、自分の場所に残す。

私は、マスとしての国家とか世代には、期待しないんだ。私が自分でずっと持っているパトリオティズムの対象は、もっと小さいものなんだよ。それは日本にかぎらず、世界中にそういう場があるんだ。

たとえば留学次代の私を泊めてくれたアメリカの家庭だよね。私はアメリカの国家には批判的だけれど、彼らへのパトリオティズムがあるんだよ。そういう場が、世界中にポツン、ポツンとあるわっけだ。それは領土っていうのとは、あまり関係ないよね。

そういうふうに政治的な理想をになう人間のつながりを、自分のなかに持っている。だからアナーキストとしての私と、そういうパトリオティズムは矛盾しない。私は、国家を全部破壊してしまって、アナーキーにしたらすばらしい純粋なものが出てくるなんて、そんな幻想を持っているアナーキストじゃないんだ。

鶴見俊輔の言葉。id:tame_hiroさんのBlog@Yui はてな出張所 06年9月8日付より。これがすなわち先日コメント欄に書いた二元論なんかじゃだめですね、ということの好例である。属性はツリー状じゃなくてネットワークのノードなのである。どこかが切れればバランスがくずれて新たな平衡状態へとノードの位置がシフトする。きれたり、形成したり、をくりかえしながらゆらゆらとノードの重心はゆらいでいる。私がかつて書いたものの中ではこのあたりが重なっていると思う。
いろいろな人の考え方を知るのだったら、2年前にいろいろ盛り上がったときの記録を松永さんがのこしている。