今の生物学って女がすごく多い。少なくともわたしの周りでは。そうなると、論文書くのにまわりが女ばっかりで議論することになるのだが(オレひとり)、これが実におもしろい、というか、違うのだよね、わたしが受けた日本のマッチョ理系議論教育と。これでいいのかー、というオバチャン話の中で論理が構築されていくわけなのだけど、そのおそるべき混沌(わたしからみたら)のなかで彼女たちはボトムラインをどこにするかというのがわかっているわけで(なにげなくみちびかれる)、議論はあくまでもオバチャン。そのなかにいるわたしはもう、どうしょもないオバチャンになるしかないのだけど、これでどうにかなる、というか、サイエンスというのはそこまで幅が広いのであるというのは、実に信頼してもいい原理、方法論なのである。日本のみなさま、武張ってないで、自由奔放にやりましょうね。*1

*1:なんてこと書くと性差別主義とかいわれそうだけど、ほんとに違うのである。